惑わせるしっぽ

 夜の十時前のホグワーツはとても静かだ。いつもは城の賑わいを色取る絵画もこの時間ではとても大人しい。唯一、甲冑の置物・・だけが騒がしかった。
 甲冑同士、喧嘩をした末に粉々になった鎧を横目にミラは早足で廊下を歩く。今は、甲冑にすら自身の姿を見られたくはなかった。
 大階段を登りきり、教員塔からグリフィンドール塔への道を歩いているときであった。曲がり角に、何か黒くうごめくものをミラは見た。その黒いものはフワフワと風に揺られるようになびいていて、まるでミラを誘うかのように手招きをしているようだった。ミラは足をとめて、一度だけ深呼吸をした。視界にとらえられるように少しずつ近づいていく。そうして、黒く揺れるものは獣の尻尾だということに気づいた。ミラはもう一度さっきと同じように深呼吸をする。
 それからミラの足音は甲冑の前を通り過ぎていたときよりもさらに忍び足になった。──就寝時間まではまだ少しだけ時間がある。何も気にする必要はないとミラは自分に言い聞かせて、飛び込むような気持ちで曲がり角を通り抜けようとした。その時、その黒い獣の尻尾は突然に動き出し、ミラの目前に飛び出してきた。
 『うわっ!』ミラの口から思わず日本語がこぼれる。
 「びっくりしたぁ。そのゴーグル…もしかして、みら?」
 角から現れたのはグリフィンドール生のサーニャ・ブラックだった。彼女は黒い獣の尻尾と頭の耳を揺らして、目をこすりながらミラを見た。
 「なんだ!サーニャか…」ミラはほっと胸を撫でおろして気が抜けたように言う。
 「変な顔!」サーニャはミラの顔を見て笑顔を見せた。「そんなに驚くなんて」
 サーニャの言葉にミラはわかりやすい動揺を見せた。屈託のないこの笑顔を前にして、ミラは必要以上に驚く理由を取り繕うことができなかった。
 「あー、だって、ほら、ホグワーツで尻尾・・を見る機会なんてそんなにないだろう?それに、それに──」
 「わかった。ミセス・ノリスだと思ったんでしょう」サーニャは目を細めて言った。「もうすぐ寮に帰らなきゃいけない時間だもんね、みら?」
 「いや、そういうわけでは──」
 ミラは目を白黒とさせて言った。サーニャの言い分はその通りだった。普段なら見間違うことなど絶対にないが、暗闇に紛れた黒い尻尾をうっかりミセス・ノリスだと思ってしまったことは図星であった。
 「フレッドとジョージと待ち合わせ?」サーニャはクスクスと笑って言う。
 「君にはかなわないなあ。サーニャ」ミラは鋭い後輩にあきらめたような顔をして言った。「内緒にしておいてくれるかい?」
 「いいよ」サーニャは幼い顔にニヤリ笑いを浮かべた。「わたしの尻尾にびっくりしたことも、一緒に内緒にしておいてあげる」
 サーニャの悪戯っぽい顔にミラは神妙な気持ちにならざるをえなかった。そして、自分の情けなさに思わず自嘲の笑みを漏らす。
 「そうだね。それは、助かるよ。とっても」
 ミラの返しにサーニャは思い通りといったふうに尻尾を揺らした。そうしてミラはグリフィンドール塔への階段をのぼっていく。もう少しでサーニャから姿が見えなくなりそうな時に、ミラは突然体を翻して言った。
 「ああ、そうだ。サーニャ。明日の誕生日、おめでとう」
 突然の祝いに今度はサーニャが動揺する立場になった。
 「あ、えっと、知っててくれたの?おっどろき」サーニャは心の気持ちがそのまま口から飛び出したように言う。
 「今度は私がびっくりさせてしまったかな」ミラは回り階段から上半身を出して、ニッコリとして言った。「それに、一番乗りだ。ずるいやり方だけどね」
 サーニャの頬がみるみると紅潮していく。ニッコリと笑って、ミラのいる元まで階段を駆け上った。
 「ありがとう!みら!」
 沸きあがる喜びに身を任せて、サーニャはさっきよりも尻尾を大きく振るった。

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