車が空を飛ぶ前の話

 オッタリー・セント・キャッチポール村の外れにそびえ立つ「隠れ穴」の納屋には人影があった。
 魔法族が見たこともないようなガラクタでいっぱいの木の箱に顔を埋めていた人影は、ひどく興奮したように忙しく腕を動かしている。やがて、箱から息継ぎをするように顔をあげたその人物は傍らに置いてあったランプと共に立ち上がった。
 イースター休暇の時より何倍にも増えているじゃないか――ガラスの中でゆらゆらと揺れる火の灯りに照らされ、ようやく顔が浮き彫りになったミラは壊れたマグル製品を片手に高揚した顔をしていた。
 母親のグレースに今年の夏休みは日本には帰れないと聞いた時、ミラは自分の体がそのまま床に沈んでいく感覚がするほどに落胆した。魔法省の国際魔法協力部で働くグレースの多忙が原因らしかった。どうしてか今年は魔法省一体が忙しいのだと彼女はゲッソリした顔で嘆いていたが、ゲッソリしたいのはこっちだとミラは心の中で舌打ちをした。
 一人でもいいから日本に帰りたいと懇願したミラを当然のように却下したグレースは忙しさのあまり日に日に自宅での口数も減っていった。
 ほとほと嫌気が差したミラは母親のいない合間にアーサー・ウィーズリーへふくろう便を飛ばす。
 夏休みに日本に帰れなくなってしまったこと、それのせいでマグル製品をお土産に買えなくなってしまったこと。ついてはアーサーの所有する納屋に眠る壊れたマグル製品をいじらせてほしいこと。
 その手紙を見たアーサーはすぐにグレースへ声をかけた。彼女は最初は頭を抱えて首を横に振っていたが、アーサーがキングスロー駅までじゅうぶんに面倒を見ると根気よく説得すると渋々に頷いた。
 そしてミラが「隠れ穴」についたのが昨日の昼のことだ。しかしその夜、アーサーは仕事があると暖炉から魔法省に向けて消えていってしまった。どうやら魔法省一体が忙しいというのは本当のことらしい。
 フレッドとジョージ、そしてロンやパーシーと少し話をしてから寝室に向かったのは夜十時を過ぎた頃だったが、ミラは眠れなかった。納屋にある壊れたマグル製品を待ちきれなかったのだ。
 日付が変わる頃までは我慢していたミラだったが、ついにその欲求は限界を迎えた。忍び足で「隠れ穴」を抜け出して、そして今に至る。
 ミラは今年のイースター休暇に訪れたときよりも何倍にも増えたマグル製品に心を躍らせていた。
 そんな時であった。ガタン、という衝撃音が納屋の外から聞こえてきた。ミラは大あわてで息を潜めて扉へと振り返る。そして今度はミラの聞きなれた音が耳に入ってきた。しかし、それは魔法界では到底聞く機会のない音だ――一瞬ミラは耳を疑ったが、間違いなく車のエンジンの回転音だった。
 ミラは怪訝な顔をして納屋の扉を少しだけ開け、外の様子を伺った。廃れた小さい車庫の脇に古い車が排気ガスを出しながら前照灯で納屋を照らしているのが見える。そしてそこには車の周りをぐるぐるとしている三つの姿があった。
 「なにをしてるんだい。きみたち!」
ミラに急に話しかけられたフレッドとジョージ、そしてロンは肩を跳ね上がらせて一斉に彼女を見た。
 「びっくりした。その声はミラ?ミラか?」フレッドが焦った様子で暗闇に紛れたミラの顔を確かめるように近づいてきた。
 「それ、アーサーおじさんの変な・・車だろう?何をするつもりだ?」ミラは怪訝な顔をしながらフレッドに言った。
 ミラがいたのは到底予想外だったのであろう。狼狽えて言葉に詰まるフレッドを見て、咄嗟にロンが前に出てきた。
 「ハリー――ほら、僕の親友のハリー・ポッターだよ――話したことあるだろう?」ロンは大袈裟に身振り手振りを交えて話しだす。
「ン、ちょっとおかしなマグルの家に住んでいる子だね?」ミラは腕を組んでロンの話を聞いた。
「僕、休暇中にハリーへふくろう便を一ダースくらい出したんだ」ロンは狼狽の色を隠せずに時折ミラから視線を外しながら言う。「でも今の今ままで一通も返事がないんだよ」
「きっとあのマグルたちがハリーを閉じ込めてるに違いねぇ」今度は車の傍らにいたジョージが口を挟んだ。「俺らは囚われのハリーを迎えに行きたいのさ」
「それで、その空飛ぶ車か。おじさんの許可もなしで」
「これしか方法はないって、ミラならわかるだろう?なぁ、見逃してくれよ」フレッドが懇願する目で訴えた。
「ダメに決まってるだろう」ミラは即答する。「こんな真夜中に危険すぎる」
 ミラのその言葉に兄弟たちは肩を落として息を吐いて俯いた。しかしその中で、ロンが何かに気づいたようにハッとして顔をあげる。
 「……ちょっとまってよ。こんな真夜中といえば、ミラこそ一体なにしてたんだ?」
 ロンの問いかけにミラは自分が何をしてたかを思い出した。自分を棚に上げていることに気づいたミラは何も返せずにカエルのような声で唸るしかない。
「ははーん。わかったぞ」フレッドは先程の焦った表情とは打って変わって、得意げにニヤリとして自分の顎に手を添えた。「さては朝まで待ちきれなくてこっそりマグル製品を漁ってたな?」
「それは……」
「パパがいない時はダメなんじゃなかった?」ロンは兄貴たちとまるっきり同じ笑みを浮かべてミラの顔を見る。
 ロンの言うことはその通りだった。昨日の昼に「隠れ穴」にたどり着いた時にアーサーおじさんは「夜は仕事だから明日の朝に納屋に行こう」と言った。「くれぐれも私無しに納屋に行かないように」という忠告も添えて。
 お忍びで悪巧みをしていたのはミラも同じだったのだ。
 三人の尋問の目がミラへと突き刺さる。完全に立場が逆転してしまった彼女はこれ以上何も言えないようだった。
「今この瞬間、僕達は共犯者 ・・・になったな」ロンが得意げな顔をした。
 図星をつかれたミラはしばらく目を瞑って何かを考えている様子だった。そしてしばらくの時を置いて、ようやく彼女はひとつ重たい息を吐いた。
 「……どいておくれ」ミラが車の傍らまで歩いて行って車のドアを塞ぐようにして立っていたジョージを退けた。
 「おいおい。きみ、諦めが悪いぞ――」
 「違うよ」ロンの発言にミラは首を振って、運転席に滑り込んだ。「車の運転のやり方、教えるよ。どうせ知らないんだろう?」
「運転できるのかい?」フレッドが驚く。
「あいにく免許はまだないけど車のからくりなら君たちより詳しいさ」ミラは車内を見渡しながら言った。「ちなみに、誰がどうやって動かすつもりだったの?」
「ええと、フレッドが、勘で?」顔に愛想笑いを貼り付けてジョージは頭をかいた。
「だと思った」ミラは三人をそれぞれ一瞥してから呆れた表情をする。「魔法で空が飛べるだけだろう?運転が出来なきゃ意味がないじゃないか」
 それからのミラの手際は素晴らしかった。エンジンのかけ方とハンドルの回し方を的確にフレッドに説明して確認させて、フレッドが理解したとわかるとするりと運転席から退いた。
「おみそれいたしました」フレッドがわざとらしくお辞儀をする。「なんなら、ミラが納屋に忍び込んでくれてて助かったよ」
「その代わりにこの事はお互い内緒だよ、共犯者 ・・・諸君」ミラは笑っているのか焦っているのか、口角をひくつかせながら言った。
「わかってるって」ウィーズリーの三人はお互いに顔を見合わせて頷く。
 ミラは辺りに風を起こしながら飛び立つマグルの車を見送ってから、今日はここまでと悟って「隠れ穴」に戻って行ったのだった。

 ハリーたちが「隠れ穴」についたのは早朝だったらしい。完璧だったつもりの作戦も、ウィーズリー夫人の目は誤魔化せなかったようだ。
 朝食に呼ばれてミラが階段を降りてきた時にはフレッド、ジョージ、ロンがしぼれた風船のように食卓に静かに座っていた。
 ミラは努めて気にしないようにして、気まずそうに端に座っていたハリー・ポッターにニッコリと笑って話しかけた。
「ああ、ハリー。ハリー・ポッターだよね。はじめまして。ミラ・トウドウです。ロンからよく話を聞いているよ」
「僕もです。トウドウさん」ハリーは行儀良くミラへと体を向けて小さくお辞儀をした。
「ミラでいいよ」ミラは笑顔のまま言った。「無事に到着して良かった。ちょっとおかしなマグルたちは大丈夫だったのか?」
 それからハリーは、ウィーズリー夫人が台所に行ったことを確認してからここに至るまでの話をしはじめた。
 「ええ、とても、大変だった。でもロンたちが、その、車で迎えに来てくれて。僕の荷物を鍵のかかった物置から取り出してくれたんだ。そして――」
「待って。鍵を開けた?魔法は使えないはずだろう?」話の途中でミラはびっくりした様子でハリーに言ったが、その問いに答えたのはハリーではなくジョージだった。
「ところがどっこいだ。ミラから拝借したこれ・・が役に立ったのさ」
「私のヘアピン!いつの間に!」ミラは更に驚かずにはいられない。
 「夏休みの前、フレッドの前髪が邪魔だとかいって君はこれ・・を使っていただろう?」ジョージがそう言うとフレッドが嬉しそうにニヤニヤとした。
「まさか……そのヘアピンでピッキングしたのか?ウソだろう?」
 フレッドとジョージと過ごしている間にピッキング術を教えたのは確かにミラだったが、それは専用の鍵あけ道具を用いてのことだ。彼女はジョージがヘアピンごときで鍵開けを成功させた事に、世界がひっくり返ってしまったような衝撃を受けていた。
 「楽勝だったぜ」ジョージが胸を張って言う。「ミラから習っておいて正解だったな。使う機会なんか永遠に無いと思ってたけど」
 「トロいしな」フレッドが露骨に挑発的に笑った。
 「マグルの技術を嗤うやつは、いつかマグルの技術に泣くんだ」ミラは機嫌を悪そうにして鼻を鳴らした。「そうなったとしても絶対助けてやらないからな」
 その後に納屋に寄ってから帰ってきたアーサーが家に入るなり含みのある目でミラを見たので、彼女は何も言わずにその場で降参のポーズをとるはめになった。
 車を飛ばした罰と納屋を勝手に漁った罰として、その日は全員が庭の小人の駆除に奔走することとなったのだ。

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