とある魔女の遺産

 グレースの訃報から三日が経った。葬儀は時勢と「不死鳥の騎士団」の活動のことを考えた末、執り行わないとミラが決めた。
 アーサーおじさんはその代わりにオッタリー・セント・キャッチポール村の外れにある小さな丘に墓を立てたらどうだろうかと提案してきた。ミラは遺体もないのにどうしようもないと思ったが、それでも母親が存在していた証がまったくないよりは良いとアーサーおじさんの気持ちを有難く受け入れることにした。
 またアーサーおじさんは全てが片付いたら母の出生地であるエディンバラに改めて建てるといいとも言ってくれた。
 母を失ってから三日目の朝――ミラの事情などお構い無しに太陽は八月にふさわしいくらいにカンカンに「隠れ穴」を照りつけている。
 「ミラ、起きてるかい?」
 ミラがちょうど寝間着から着替え終わった頃に、扉の向こうからフレッドの声がした。
 「起きてるよ」ミラはそう言って部屋の扉を開けた。「先に起きたのなら、ついでに私も起こしてくれてもよかったのに」
 「ごめん。今は寝れるだけ寝てた方がいいかなってさ」フレッドが申し訳なさそうに言う。
 「ちょっと、いつもの冗談だよ」ミラは少し笑ってため息混じりに答えた。「そんな顔しないでおくれよ。らしくもない」
 「きみこそ」フレッドが今度は心配そうな表情をうかべる。「無理に気丈に振る舞ってるんなら、気遣わないでほしいんだけど」
 「気なんか遣ってないさ、フレッド」ミラはニッコリと笑った。
 ミラの笑顔を見たフレッドは何かを言おうと口を開いたが、すぐに蓋をした。そして瞼を閉じて眉をしかめさせたと思うと、更に鼻から大息までついてミラの腕を掴んだ。
 腕を掴まれたミラは一瞬「姿あらわし」でもするのかと身構えたが、フレッドはそのままミラをベッドまで連れていって座らせただけだった。
 「ミラ、きみは本当に大丈夫なのか?」フレッドはミラの前にしゃがみこんで、彼女の手を柔らかく握った。
 「きみの言いたいことはわかるよ。フレッド」
 ミラはフレッドの疑問がよくわかっているつもりだった。いや、きっとフレッドだけじゃない――もしかしたらジョージも、おじさんもおばさんも、ウィーズリー家の人たちも同じ気持ちなのかもしれない。
 母が死んだと聞かされて一晩立ってから今に至るまで、不思議とミラは一度も落ち込まなかった。泣くどころか、気を遣うウィーズリー家のみんなに冗談を吐くくらいの余裕を見せていたのだ。
 涙のひとつも出ないくらい落ち着いてしまった自分自身の気持ちに困惑していたのはミラも最初は同じだった。自分は薄情者なんだと、自虐的な気持ちになることもあった。
 「フレッドは私にわかりやすく悲しんでてほしいのかい?泣きわめいて、むちゃくちゃに暴れててほしいと思うのかな」ミラは少しの悪戯のつもりでニヤリとした。
 「そんなわけないだろ!」フレッドは握っていたミラの手を更に強く握って、今度は自分もベッドに腰を落とした。
 「いつもとは逆だね、フレッド?」
 ミラがクスクスと笑うと、フレッドは困った顔のまま愛想笑いを浮かべてミラの頬を撫でた。
 「少し、私の話をしてもいいかな」ミラが言う。
 「もちろんさ」フレッドがすぐに答えた。
 愛情表現を返すかのように、今度はミラがフレッドの頬を撫でて愛おしげな視線を送る。それから、自分自身が気づいたこの気持ちの正体を静かに語り出した。
 「――悲しいかと聞かれれば、まだまだ悲しくてたまらないんだ。」ミラはフレッドから視線を外して言う。「胸が張り裂けそうだし、喪失感に押し潰されそうだよ。死喰い人デスイーターが憎くてたまらない。できるだけ酷い目に遭わせて殺してやりたい──けど、不思議と父親の時に比べてずっと楽なんだ。変だよね、父は病気で、母は殺されたというのに……」
 ここまで一息で話したミラはフレッドの顔色を恐る恐る伺った。フレッドも私を薄情者だと思うだろうか。
 しかし、フレッドは落ち着きはらったような目をしていた。フレッドの穏やかな視線にミラは安堵しながら言葉を続ける。
 「悲しみの気持ちはもう心の深いところにしまわれてしまって、表面に出てこないみたいだ。少なくとも今は……」
 「ミラ、きみって強いんだな」フレッドは憐れみとも愛おしさともつかぬ顔でミラの髪を梳いた。「ミラのその気持ちを信じる。なんだか誇らしいよ」
 「私を強くしてくれたのはきみだよ」フッと力が抜けたように笑ったミラは、フレッドの手に優しく触れた。
 「俺がかい?」フレッドは心当たりがないと言いたげにきょとんとした。
 ミラはこくりと頷いてまた語り出した。
 「ねえ、覚えているよね。五年前、私は父が死んでどうしようもなくなってしまった。それを支えてくれたのはフレッド、君だっただろう──君がいなければ、わたしは立ち直れなかった」ミラの目に力が入る。
「あの時の立ち直るという経験が今の私を作っていると、強く感じているんだ。あの時きみがいなかったら、今回もいつまでも取り乱して、またどうしようもなくしまっていたと思う。」
 ミラは自分の発した言葉でジワジワと胃の底が熱くなるのを感じた。何か強い力が湧き出るような感覚になり、想いが「言霊」となって、自信が漲ってくるような気持ちになる。
 「だから、きみのおかげなんだ」ミラはまっすぐにフレッドを見つめた。
 「あの頃の俺はミラに笑顔になってもらいたくて必死だっただけさ」フレッドはそう言いつつも、頬の緩みを隠しきれていない。「つまりきみが強くて尊い人間だったっつうだけの話」
 「フレッド」ミラはフレッドを抱きしめて言った。「ありがとう、ずっといつでもそばにいてくれた」
 フレッドはミラに応えて彼女の首元に顔を埋める。首筋に伝わる体温から愛情が流れ出てくるように伝わってくる――「恋人として」と「家族として」の二つを感じたミラは嬉しくなった。
「今はもうじゅうぶんに泣いた。私にはやるべき事がある。偲ぶには今は時間が足りない。全てが終わったあとでも母は怒りはしないよ」
 フレッドから身を離したミラはクスリと含み笑いをする。
 「そうだな。なんせ、あのママだしな」フレッドもようやくいつものニヤリ笑いを浮かべて言った。
 「うん」ミラは目を細めて言う。「でも、空元気なのは変わりないからまた支えておくれよ。恋人さん」
 「そりゃ、俺にしかできない仕事だな」フレッドはくすぐったそうにはにかんでからミラの額にキスをした。「喜んで、恋人さん」
 二人は見つめあって笑みを更に深める。部屋には束の間の平和な時間が流れていた。

 時計の長針が十二を指した。まさにそのとき、階下から突然にざわめき声が響いてきた。
 ミラとフレッドはギョッとして扉のほうへ視線をやる。今、フレッドとミラを除いて「隠れ穴」にいるのはモリーおばさん、ジョージ、ジニーの三人のはずだ。
 しかし、階下から聞こえてくる声は明らかにその人数より多かった。
 「落ち着いて!
 モリーおばさんの甲高い叫び声にフレッドとミラの二人はただ事ではないと察して、視線をドアに固めたまま互いの腕を同時に掴んだ。そしてそのまま二人は「姿あらわし」をして部屋から煙のように消えていった。
 バシッ!という音がして、二人は一階の台所に着地をする。小走りで居間に駆けつけたミラとフレッドはは目の前に広がる光景に口をあんぐりとあけたまま放心してしまった。
 「隠れ穴」の狭い居間に見知らぬ魔法使いたちが十五人ほど、狭そうにしてひしめき合っている。
 「――では話は本当なのですね?ウィーズリー夫人!」ひとりの魔法使いが大きな鼻を更に膨らませて息を巻いていた。
 鼻の大きなその魔法使いだけではない――魔法使い、魔女たちがウィーズリー夫人に何やら追求しているようだった。尋常ではない空気が居間に広がっている。どういうわけか、騒いでる魔法使いたちの中には泣いてるものや、嗚咽まで漏らしているものもいる。
 「落ち着いて!落ち着きなさい!」モリーおばさんは叫び続けている。
 ジョージとジニーはといえば、この状況に圧倒されてしまっているようでポカンとしながら立ち尽くしてしまっていた。
 「あの……あれは一体……」ミラはジニーににじり寄り、静かな声で聞いた。
 「わからないの……」ジニーは狼狽の色を隠さずに答えた。「急に現れたと思ったらママに……」
 ジョージもジニーの言葉に頷くと、フレッドと目を合わせてお互いに肩をすくめた。
 ミラが未だ状況を飲み込めぬままに、呆然と成り行きを見守っていたそのときであった。
 「――お、おい。あの子……」
 大勢の中のひとりの魔法使いとミラの視線がぶつかった。その魔法使いは全身を震わせながら指を差す。まるで、初めてゴーストを見たというような顔であった。
 彼の言葉が合図かのように十数人の目線がいっせいにミラへと集中する。ミラは思わず後ずさりをして、フレッドが咄嗟に庇う形で前に出た。
 「瓜二つだわ――」ひとりの魔女が感慨を込めながら言った。「この子!グレースにそっくり!」
 知らない魔女の口から母親の名前が出たことにミラは両肩を思わずビクつかせた。周りにいた魔法使いたちは「そうだ」「違いない」「そっくりだ」などと口々に言葉を漏らした。
 もはや誰を見ればいいのかわからなくなってしまったミラがオロオロと慌てはじめると、一人の髪の長い魔法使いが小走りで詰め寄ってきて、フレッドの肩越しにミラを覗き込んできた。
 「はじめまして。ミラさん。私、アラン・ウィリアムズと申します。私は――」
 「その子に近づくのはおやめ!アラン!」モリーおばさんは物凄い形相で叫んで、アランと呼ばれた魔法使いをフレッドとミラからひっぺがした。
 「待っておくれ」今度はミラがフレッドの肩から顔を出す。「どうして――どうして私の名前を知っているんだい?」
 それだけじゃない。モリーおばさんはこの魔法使いをまるで知っているかのような口振りで呼んでいた。
 「ああ、ミラさん。安心して。お母様の仇は必ずや私たちが討ち取りますから」アランがモリー夫人の腕の中から叫んだ。「必ずやグレース自身も取り返してみせる!」
 「まったく!どこからそんな情報を手に入れてきたのですか!アラン!」
 モリーおばさんは血管が切れてしまいそうなほどに怒鳴った。
 しかし二人の会話を聞いたミラは巣から様子を伺う動物かのように、フレッドを退けて魔法使い集団の前に立った。
 ミラの疑問に答えたいと言わんばかりに、また別の魔女が他の魔法使いたちを掻き分けてミラの前に現れる。ずっと泣いていたのか、目と鼻が真っ赤になっていた。
 「私たちは『兵隊』です。ミラお嬢様――」
 「ロージー!その言葉をそれ以上言うんじゃありません!
 今度はさっきよりもハッキリとした口調でモリーおばさんが叫ぶ。湯気が出そうな程におばさんの顔は真っ赤に燃えていた。
 いよいよ雲行きが怪しくなってきたぞとジョージが怪訝な顔をしてフレッドに目配せをしはじめる。ミラを心配そうに見つめていたジニーも、この状況への関心のほうへの意識が向いているのが表情に浮かんでいる。
 「『兵隊』?それはなんですか?母親と何か関係があるんですか?」ミラはロージーと呼ばれた魔女に聞く。
 「まあ!関係があるか、ですって?」ロージーは世界がひっくり返ってしまったと言わんばかりに口を開けて驚いてみせた。「まさか、『グレース軍団Grace Army』をご存知ないの?お母様から何も聞いていない?」
 「グ、グレース、なんだって?」ミラが叫ぶ。
 「よしなさい!ロージー!」モリーおばさんもミラの疑問を掻き消す勢いで大きく叫んだ。
 「私たちはきみのお母様が学生時代率いていた『グレース軍団』の『兵隊』だ」
 また別の魔法使いがハンカチに目を当てながら現れた――赤毛で短髪の少し目つきの悪い魔法使いだ。魔法使いは髪の毛をかきあげながら続けた。
 「貴方のお母さんの訃報を聞いたんだ。魔法省のクーデターに巻き込まれたと」赤毛の魔法使いの声はまた泣き出してしまうのではないかというくらい震えていた。「我々はきみに会えて嬉しい」
 「ミラ、このことは――」モリーおばさんが言う。
 「おばさん、私、聞きたい」ミラがモリーおばさんの言葉を待たずに言った。「だって私、母親がどんな魔法使いだったのか、全く知らないじゃないか」
 最もな理由といえるミラの関心にモリーおばさんは何も言えずに口をつぐんでしまう。
 「話してください。母のこと」ミラは赤毛の魔法使いを見つめて言った。
 「さっき言った通り、私たちは『グレース軍団』の『兵隊』だ。学生時代、グレースには本当に世話になったのだ」
 「『グレース軍団』って?それってどんなことをしていたの?闇の魔法使いに対して――その、戦ってみせるとか?」ミラが言う。防衛術に長けていたらしい母親なら有り得る話だと思ったからだ。
 「いや」赤毛の魔法使いは首を振った。「主に魔法薬に使う材料の調達が多かったな。グレースは手が汚れるのは嫌いだったから」
 「はい?魔法薬の材料?
 ミラは思わず歯茎をむき出しにしてしかめっ面をした。フレッドとジョージの双子も予想もしなかった回答に思わず吹き出してしまう。
 「私は肩もみをしていたわ」
 目の前の集団――グレース軍団の中にいた魔女が得意げに言った。そしてその魔女の言葉を皮切りにグレース軍団の魔法使いたちは一斉に話をしはじめた。「私はペットのお世話をした!」だの「俺は『日刊預言者新聞』の配達だ!」だの――どれもこれも下らない命令ばかりであった。しかし彼らはそれを得意げに語り、朝までは静かだった「隠れ穴」をたちまち喧騒の渦に巻き込んでしまう。
 ついに立っていられなくなったのか、モリーおばさんが青白い顔をしてソファへ倒れ込んだ。びっくりした様子のジニーがすぐに駆け寄ってモリーおばさんの肩を抱く。
 フレッドとジョージの双子は、笑いを堪えているようで口角がヒクつかせながら震えている。
 「もういいです!じゅうぶんだ!」ミラが今までの中で一番大きい叫び声をあげると、「グレース軍団」メンバーは涙まで引っ込めるような勢いで一斉に黙り込んだ――まさに名の通り軍隊のようであった。
 「つまり、えーと、貴方たちは母に恨み・・・がおありで?」ミラが息を切らしながら言う。「それで娘の私に文句を言いに来たということですか?」
 「まっさか!」アランが目玉がこぼれ落ちそうなほどに見開いて答えた。
 「命令と同じくらい、私たちは彼女に助けられているのよ」ロージーが言う。「命を救われたものだって、この中にいるわ」
 「その中の一人が私だ」
 すかさず、また別の魔法使い――隻眼の魔法使いがミラの目の前に現れた。
 「学生の危険な好奇心から、野生のトロールに挑もうとしてね」隻眼の魔法使いは自分の眼帯をなぞりながら言った。「彼女が助けにきてくれなかったら、目玉ひとつでは済まなかっただろう」
 「そういうひとだったのよ。グレースは」いつの間にか起き上がっていたモリーおばさんがジニーに支えられながら、ミラの傍らに立っていた。
 「忠誠を誓いさえすれば何かあったときに命を懸けても守り抜く。傍若無人のようだけれど、不思議と人は離れなかった――なんというか、いきすぎた・・・・・ハッフルパフの精神というのかしらね。それでも、なぜだか彼女には魅力があったそうよ」
 「おば、おばさんは知っていたの?」
 予想外すぎる母親の過去に既にお腹いっぱいのような顔をしたミラがぐったりと項垂れながら聞く。
 「ええ、在学中の友人から聞いていたわ」モリーおばさんが言う。「ハッフルパフの『悪魔』が率いる『グレース軍団』というものがあると」
 「あ、あく、悪魔……」
 ミラは唐突に飛び出た新しい情報に、前髪を鷲掴みにするようにして頭を抱えた。
 「あの優しいグレースおばさんが、悪魔?信じられねえ!」そう言うフレッドの眉間には薄いしわが刻まれている。
 「そういうわけだから隠したかったのよ。特に貴方にはね、ミラ」モリーおばさんはまるでこの世の全てを諦めた表情で言った。「私たちそれはもう、固く、固く、口止めされていたんですよ。『不死鳥の騎士団』に関してはシリウスが口を滑らせたようですけれど」
 モリーおばさんの嘆きともとれる言葉に、ミラは母親の話をしたときのシリウスの歯切れの悪さや不自然に話に割り込んできたルーピンを思い出した。あの二人も母に口止めをされていたということなら、納得のいく事ばかりだと思った。
 「そうだ!『不死鳥の騎士団』のときだって」
 グレース軍団がまたざわざわとしはじめる。ミラはもう勘弁してくれという気持ちだった。
 「既に日本魔法省で働いていたのにも関わらず、我々のふくろう便を見てすぐに帰国してくれたんだ!」
 また別の魔法使いが出てきた。ミラはもうこの人が誰なのかは気にしないようにした。
 「当たり前だろう!貴様、卒業式にグレースが言った言葉を忘れたのか!」隣にいた魔法使いが答える。
 「いい加減になさい!それだけは、言ってはなりません!」モリーおばさんは顔色を戻すことはできないまま、必死に叫んだ。
 「忘れるものですか!」ロージーが叫んだ。「彼女は私たちにこうやって演説したわ――」
 ロージーは深呼吸をすると、眉毛をつりあげて母親のような声でモノマネをした。
 「『グレース軍団』は本日をもって解散し、貴様らは今この瞬間から家族となった。何かあればこの私に頼るがいい。どこにいようと駆けつける。それを死ぬまで忘れるな」
 ロージーが言い切ると、たちまち軍団から拍手が巻き起こる。
 「イカれてる!」ジョージがもう我慢できないといったふうに叫んだ。
 ジョージの叫びにフレッド、ジニー、そしてミラまでも無言で頷いた。
 「ああ、最悪だわ……」モリーおばさんがまるで戦慄が体を突きぬけたかのように震えながら呟きはじめる。「今のが一番ミラに知られたくない黒歴史だって、グレースは私に話していたの。ああ、きっと彼女、化けて出てくるわ。ごめんなさい、許してグレース――」
 青白い顔のままブツブツと謝罪を唱え続けるモリーおばさんに、未だに泣きながら拍手をする「グレース軍団」の魔法使いたち。「隠れ穴」は間違いなく、混沌の渦中にあった。
 そしてその光景を目で追うように黒目をグルグルと回していたミラはついに限界を迎えて、その混沌の波に足を掬われるかのように膝から崩れ落ちた。どうやら母親は、とんでもない遺産を私に残していったようだ。
 「ミラ!」
 フレッドが倒れ込むミラを素早く抱きかかえて、まるで戦意喪失といった顔の彼女の頬を撫でた。
 「ま、間違いなく、これだけは言えるよ……」
 フレッドの腕の中にすっぽりと収まったミラは、力の抜けた表情で言った。何も知らない者からしたら、まるで今から最期の言葉を告げようとしている光景に見えるだろう。
 「やはり、今の私に必要なのはきみの支えだったってことさ。フレッド……」ミラがそう言って薄ら笑いを浮かべる。
 フレッドは皮肉の含んだミラの言葉に思わずニヤリとした。  

close
横書き 縦書き