奇跡の子供たち

 学生たちのイースター休暇も後半にさしかかったこの日、ホグズミード村はいつもの賑わいを少し落ち着かせていた。
 石畳の通りに沿って建物が連なる中を歩けば、一角だけ、冗談のような色合いが紛れ込んでいるのが目に入るだろう。腕木にぶら下がった看板にはこう書かれていた。
 ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ──ホグズミード店
 赤髪の紳士と、黒と白のアナグマのようなへんてこりんの髪の淑女が経営している、有名な悪戯グッズ専門店だ。
 ウィーズリー夫婦の一人娘であるサクラ・ウィーズリー――ホグワーツ魔法魔術学校に通う三年生だ――は、このお店がたいへん好きであり、またたいへん誇りであった。
 「サクラ、さあ、はやく!支度をおし」
 WWWの二階の奥にひっそりと構えるウィーズリー一家のリビングに、サクラの母親であるミラ・ウィーズリーの声が響いた。
 「いつでも出れるよ、ママ」サクラはソファの背にもたれたまま、少しだけ肩をすくめた。
 「そう、『激辛ペッパー』を口の周りにそれだけつけておいて?」テーブルでスーツの襟を正していたミラが険しい顔をした。「まだ耳から煙が出ているよ」
 「のんびり屋は母親譲りだもんな? サクラ」
 いつの間に入ってきたのか、父親のフレッドがドア枠にもたれかかっていた。
 「パパ!」
 サクラが顔中をほころばせながらフレッドに駆け寄ると、フレッドはサクラの口元を上着の袖でぬぐい、耳からポッポッと上がる煙を吹き消してみせた。
 「冗談じゃないぞ」ミラは肩で切られた髪を揺らし、ため息をついた。「君も早くしておくれ。せっかくエラとセドリックにお呼ばれしているというのに……遅れたら申し訳ないだろう?」
 「リオラとローワンもいるんだよね?」
 サクラはうきうきした足取りで、今度は母親に近づいた。リオラ・ディゴリーとローワン・ディゴリーは、サクラと同じホグワーツに通う友人だ。イースター休暇中にディゴリー家を訪ねるという今日の計画は、サクラにとってずっと楽しみにしていたものだった。リオラの明るい声やローワンの穏やかな笑顔を思い浮かべると、胸の奥が自然と弾んだ。父と母も心なしかそのように見えた。リオラとローワンの両親であるエラとセドリックもまた、ミラとフレッドのかつての同級生だったのだ。
 「もちろん」ミラはサクラの頭をいとおしそうに撫でながら微笑んだ。「嬉しい?」
 「すっごく嬉しい!」サクラは声を上げた。「私、あのふたりが大好きなんだ!」
 「妬けるじゃないか」フレッドが言った。「パパとどっちが――おっと」
 フレッドはニヤニヤしながらサクラに抱きかかえようとしたが途中でやめた。すぐ隣で、ミラが「さっさとしろ」と言わんばかりにフレッドを睨んでいたからに違いない。
 「わかったよ、奥様」
 フレッドは鉢からキラキラ光る粉をひとつまみ取り出すと、リビングの大きな暖炉の火に近づき、炎に粉を振りかけた。炎はエメラルド・グリーンに変わり、サクラの背丈よりもずっと高く燃え上がった。次にフレッドは、サクラとミラの肩を抱いてゆっくりとその中に入っていった。
「きみ、だんだんグレースおばさんに似てきたな」フレッドが暖炉の中で狭そうにしながらニヤリと笑った。「特に眉間のしわとか」
「うるさい」ミラはフレッドをこづいたあと、こう叫んだ。「オッタリー・セント・キャッチボール」

 巨大な渦に吸い込まれていくような感覚がしてから、目的地まではほんの数十秒だった。
 自宅とは違う石の暖炉に立っているのをサクラは足元から感じた。そして、サクラの視界に明るい色合いが広がった。
 磨き込まれた木の床に、春の淡い光を反射する壁。穏やかな空気が流れたしゃれたリビングだった。
 サクラの脇でフレッドとミラが肩についた煤を軽くはらっていた。それから目の前では、ディゴリー一家が、炎の名残を覗き込むようにして立っていた。リオラ、ローワン……それに、エラおばさんにセドリックおじさん。
 「リオラ! ローワン!」サクラはまっすぐにディゴリー兄妹の元へ駆け出して行った。
 「サクラ! 元気だった?」リオラがサクラを抱きしめてニッコリと笑った。
 「まるで数十年ぶりの再会のようだな、俺たち」ローワンが穏やかに言った。「でも、休暇中に君に会えて嬉しいよ」
 サクラはエヘヘと笑い続け、二人の手を握ってぶんぶんと振り回した。すぐそばでは両親とディゴリー夫妻がそれぞれに「久しぶり」と挨拶をして笑い合っていた。
 「仕事は忙しいの?エラ」ミラがエラおばさんに聞いた。
 「うん、とっても」エラおばさんは苦笑いした。「手足から草が生えてきちゃったとか……致命的に笑いが止まらなくなっちゃったとか……もう! せっかく平和な世の中になったと思ったのに。みんな、むちゃばかり!」
 「一方、そちらのミスター優等生は、クィディッチで大忙ししたあとは魔法省でも大忙しだとか?」フレッドが学生時代と同じような顔でニヤリとした。
 「やめてくれ、フレッド」セドリックおじさんが急に話しかけられて、顔を赤らめながら口ごもった。
 「まったく誇らしいじゃないか」ミラはのけぞった。「こちらにも二人の評判は届いているよ。聖マンゴには優秀な魔女がいると聞いているし、セドリックは……言わずもがな、だね。それを聞くたびに、私は幸せな気分になるんだ」
 「それを言うなら、貴方たちの評判もこっちに届いてるよ」エラおばさんがクスクス笑った。「WWWは大繁盛なんでしょ?」
 「ぼちぼちさ」ミラが頭を掻いた。
 「おいおい、そりゃねえだろう? ミラ」フレッドが鼻から息を吐いた。「ダイアゴン横丁の一号店も、ホグズミードの二号店も、大繁盛……いや、それ以上だ!毎日毎日動き回って大変だよ!」
 「あのさあ!」ミラがフレッドを睨んだ。「そうであっても……それが事実であったとしても……少しは謙虚になれないのかい⁉」
 「あはは!」エラおばさんがなにかが弾けたように笑いだした。「そういうとこはやっぱり『日本人』だね、ミラ」
 セドリックおじさんも同じようにクスクスと笑い出した。さらにフレッドも笑い始めたので、ミラはなにがなんだかわからないと言いたげな表情になった。
 その中で、リオラが唐突にサクラの脇をこづいた。サクラが驚いてリオラを見ると、リオラは「私の部屋に来ない?」とサクラに囁いた。
 
 リオラの部屋は、決して広くはないが、きちんと使い込まれている様子だった。読みかけの漫画が積まれた棚に、椅子の背に掛けられたローブ、壁にはセドリックおじさんがクィディッチのプロチームにいたころのポスターが貼られていた。
 「親同士で盛り上がっちゃって!」
 リオラがプンプンとそれらしいように怒った顔で、クローゼットからクッションを取り出し、サクラに渡した。その様子を見るに、きっとリオラはそんな話も楽しんでいたのだろうと思った。
 「思い出話がいっぱいあるんだろうね」サクラはクッションを抱きながら床に座った。
 「私たちのパパとママの時代って、いろいろあったんだもんね」リオラがベッドに座って言った。「私は誇らしいと思う。サクラは?」
 「もちろん、誇らしいよ!」サクラは言った。「ホグワーツの戦いなんか、魔法史の授業で聞くだけでゾッとする。パパとママが生きていてくれよかったなあって」
 「本当にその通りだよ」リオラが首を振り振りして言った。「ねえ、パパとママからその時のこと聞いたことってある?」
 「うーん、ちょびっとだけ」
 サクラはポケットから小さな四角いチョコレートをいくつか取り出し、その中のひとつをリオラに向かってひょいっと投げた。
 「なあに? これ」
 「『チロルチョコ』っていうんだ!」サクラは目をランランとさせて答えた。「日本の定番お菓子さ!」
 「お手並み拝見だね」
 リオラは興味津々といった様子でチロルチョコの包み紙を開て、少しだけチョコをじっと見つめたあと、ためらいなく口に放り込んだ。しばらくして、リオラはサクラに向かって親指を上げて「美味しい」という合図をしたので、サクラは満足げに頷いてコホンと咳払いをした。
 「パパとママの話に戻るけど、実は……」サクラもチョコの包み紙を破り取りながら語りだした。「ママは、パパの命の恩人なのさ」
 「へえ!」リオラは身を乗り出した。
 「ずっと遠い、別々のところで戦っていたんだってさ。でも、ほら、授業でも言っていただろう?闇の魔法使いの攻撃で、ホグワーツ城が崩れたって……」
 サクラは自分の肩にかかった編み込んだ髪を指でくるくると回しながらリオラに視線を向けた。リオラはすぐに「続けて」と目配せをした。
 「ママは、自分の持ち場を放り出して――ママはこの時のことを今でもずっと悪いと思ってる――パパを探し回ったんだ。それで、ママがパパを見つけた時、パパは今にも瓦礫に押しつぶされそうってところだった」サクラは続けた。「『間一髪』ってやつだよ。ママが呪文で瓦礫を壊して、パパは助かったんだ」
 「本当によかった!」リオラはぎゅっと目をつむった。「ミラおばさんとフレッドおばさんのおかげで、今サクラはここに座ってる。それも、『チロルチョコ』をたっくさん食べてね!」
 「ママは『命よりも大事だった形見のゴーグルと引き換えの命だから粗末にするな』っていつもパパを怒ってるけどね。ほら、パパってむちゃくちゃだから」サクラは笑った。「ねえ、リオラのパパとママは? どうしていたのさ?」
 リオラは一瞬だけ口を閉じ、窓辺の棚に置いてある写真立てに目をやった。写真の中では、ディゴリー家全員がサクラに向かって手を振っていた。顔中をほころばせているリオラとローワン。それに、エラおばさんの腰に手を回し、家族に寄り添うディゴリーおじさん。幸せでいっぱいの、とてもすてきな家族写真だとサクラは思った。そして、今度はリオラが話す番だった。
 「パパは最前線で死喰い人と戦ってたけど、ママは怪我した人たちの治療とか、捜索をしてたんだって」リオラは言った。「離ればなれなのは、うちも一緒だったみたいだよ」
 「すごいや!」サクラは声をあげた。「ああ、そうだ! ヴォルデモートを倒したあと、エラおばさんに世話になったってパパもママも言っていたよ!」
 「マーリンの髭!」リオラは両頬に手をあてて、ちょっと照れくさそうに驚いた。「そうだったんだ!」
 「おじさんもおばさんも、かっこいいね! うちのパパとママの話がなんだか情けなく思えてきたよ……」
 サクラがわざとらしくがっくり肩を落として苦笑いすると、リオラもおんなじような顔をしてクスクス笑ったので、ベッドがきしりと音を立てた。
 その瞬間、一階のほうからくぐもった笑い声が聞こえた。それはときどき大きくなったり、小さくなったりしながら、家中にやわらかく広がっていった。きっと今も、パパやママたちは昔話に花を咲かせているのだろう。リオラとサクラはきょとんとして目を合わせてから、またよりいっそうクスリとした。
 「そうだ」リオラがなにやら思い出したかのように口を開いた。「ママ、怪我人を探している途中で死喰い人からの攻撃を受けたらしいんだ」
 「エッ⁉ それは……なんというか……平気だったのかい?」
 「当然、怪我をすることになったみたい」リオラは眉をちょっと動かしながら言った。「すごく痛かったって言ってたよ。でも、自分の怪我を治療する暇なんかなかったし、そのまま最後まで我慢して他の人の治療を続けることにしたんだ」
 「そんなの、すっごく心配だよ――ええと――そりゃえらいけど――とにかくすごく心配になるよ!」サクラはまるで、自分が今まさに戦場のまっただ中にいるような気持ちになった。
 「サクラの言う通り。おかげで戦争が終わったあと、パパにバレて叱られたらしいよ」リオラはこのあとの話をすぐにしゃべりきりたいようでウズウズしていた。「うちでは、今でもこの話になるんだ!パパがちょっとでも傷をつけて帰ってくるものなら、ママがその話をして、パパは気まずそうにモゴモゴするんだよ!」
 「アッハハ!」サクラは思いっきり笑った。「どの家も、パパは『ママの昔話』にめっぽう弱いんだ!」
 「そうかも!」リオラもサクラにつられるように笑った。「でも、そんな昔話のおかげで今の私たちがあるってことだよね!」
 「そうだね、私たちは奇跡の子供たちだ!」サクラはクッションを抱えなおして、ゲラゲラ大笑いした。
 「うん、きっとフェリックス・フェリシスなんて必要ないくらいにね!」リオラはベッドに笑い転げた。
 「ねえ、いったいなんの騒ぎ?」
 ローワンが部屋に入ってきたのは、リオラとサクラが涙をこぼしながら笑い合っていたちょうどそのときだった。ローワンは扉の前に立ち、「グリフィンドールのじゃじゃ馬たちが、ついにおかしくなってしまったのか」と困惑した顔でおろおろしていた。
 「ローワン! ちょうどいいところに!」
 サクラはすばやく立ち上がり、ローワンの手を取って、そのまま引きずるような形でその場でぐるぐると回って踊った。
 「私たち三人が、奇跡だって話をしていたところなのさ!」サクラは大声で言った。「おお、奇跡の友よ! 会いたかったですぞ!」
 「私も会いたかったよ! 奇跡のお兄ちゃん!」リオラはサクラとローワンの間を割って、二人の肩を抱いた。
 「ふたりとも、本当の本当に大丈夫か……?」
 ローワンの困惑がどんどん深くなっていくのが見えたが、サクラもリオラもちっとも気にしなかった。
 

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