無関心の女の子

 ロンドンにあるキングズ・クロス駅は、イギリスの主要鉄道幹線の一つだ。イースト・コースト本線の南終着点となっているこの駅は、いつも大勢の人間でごった返している。列車到着案内板の上にある大きな時計が十時半を指す頃、プラットホームには足早に歩いている特別人相の悪い親子がいた──ほとんどの乗客がスーツを身をまとい、仕事へ向かうためにきびきびと歩いている中、その人相の悪い親子は少し奇妙だった。
 母親は見たところ他の人と変わらない普通のスーツ姿だったが、片手に持った切符と自身の腕時計を交互に見ながら「九と四分の三番線、九と四分の三番線」と繰り返し呟いていた。もちろん、キングズ・クロス駅にはそんな中途半端な番線などない。娘のほうはもっと奇妙だ。なにやら古めかしいエンジニアゴーグルを頭につけている。揺れる長髪は綺麗な黒色をしているが、なぜか前髪だけが灰色だ。そして自分の体よりも大きなカート重そうに押していて、中には大きなトランクがふたつ、そしてかごに入ったロシア産の猫が積まれていた。存在しない番線を呟く母親と、まるで旅に出るかのような大荷物でプラットホームを闊歩するへんてこな見かけの娘は、ひときわ乗客たちの目を引いている。しかし、彼女たちはその多くの視線には気にも留めていない様子で、人混みを縫うようにして歩き続けた。
 「もう!このあとすぐに魔法省へ戻らないといけないのに、どうしてそんなに大荷物なの。ミラ」
 母親は、小さい悲鳴をあげながらカートを押している娘のミラ・トウドウに声をかけた。
 「マグル・・・製品たちがひとつのトランクでは入りきらなかったんだよ」ミラは息を切らせながら答える。
 「どうして魔法を学ぶのにマグル製品なんかいるのよ」
 母親の呆れかえった様子にミラはふくれっ面をした。
 「そりゃ、魔法族よりも非魔法族・・・・が扱う道具のほうがとっても魅力的だからさ」ミラは鼻を不満気に鳴らして言う。「ああ、父がマグルで本当によかった」
 「まったく……ホグワーツでの生活が思いやられるわ……」
 母親は嘆きの声をミラに返すと、持っていた「ホグワーツ特急」の切符に視線を落としてため息をついた。母の態度に、ミラはもう一度鼻を鳴らす。
 ──今すぐに体を翻して、生まれ育った日本に帰りたい。ミラは思った。そもそも、なぜうちの母は魔女なのだろう。そして、私も。
 母親はミラに立派な魔女になってほしいと口癖のように言っていたが、ミラが憧れていたのは父親のような手先の器用な日本の・・・修理工だった。ミラはマグル製品を扱う技術士になりたかった。そのことは母親もよく知っている。だがミラが六歳になったときに待ちうけていたのは、日本の魔法学校──「マホウトコロ」への入学だった。
 マホウトコロに入学してからの毎日は憂鬱で、振りたくもない杖を振るわされることに嫌気が差し、退学になるためにわざと無茶をしたこともあった。そんな荒んだ生活の中、日本魔法省で働く母親の転勤が突然に決まった──転勤先は彼女の母国であるイギリスの魔法省だった。イギリスに引っ越さなければならないということを告げられたのは、二年前、ミラが九歳のときだ。ミラは日本を離れたくない一心で大暴れをした。仕事を離れられない父親を日本に残していくことになるのも、ミラの気持ちを一層に悲しくさせた。普段は寡黙な職人気質な父親が、過呼吸になるほどに泣きじゃくるミラを見て思わず母親を咎めたが、母親は決して首を縦に振ることはなかった。こうして、去年の四月にミラと母親の二人はエディンバラにある母親の生家へと移り住んできたのだ。
 ふてくされるミラに与えられた次なる試練は「ホグワーツ魔法魔術学校」への入学だ。「ホグワーツ魔法魔術学校」の入学許可書をふくろう便が運んできたとき、ミラは何事かと動揺を隠せなかった。しかしその態度とは逆に、母親は予想通りといったような顔をした。それから、母親は(どうしてか)顔を少し引きつらせながらミラに「ホグワーツ魔法魔術学校」についての説明をしてくれた。そして十一歳から十七歳の七年間、寮に住みながら魔法を学ばなければならないと理解したとき、ひどく落ち込んだ。まるで世界に一人だけ取り残されてしまったかのような気分だった。一九八九年の九月一日が訪れないようにと毎晩流れ星・・・を探しては祈っていたが、もちろんそれは叶わずに今日この日を迎えてしまったのだ。
 「ミラ、ついたわよ」
 母親の声によって、ミラは記憶の底から現実に一気に引き戻された。顔を上げてみると、目の前に「九番」と「十番」の間の柵が見える。
 「どういうことだい?」ミラは眉根に皺を寄せて母親に言った。
 「ここが入り口よ」母親がミラの肩に手を添えた。「いい?この柵に向かってまっすぐに歩き続けるの。怖がらなくていいわ」
 母親がトンッと軽くミラの背中を押した。ミラは言われるがままに改札口の柵に向かって歩き出した。柵はとても頑丈そうに見えるが、大丈夫なのだろうか?二本のプラットホームの分かれ目に差し掛かろうとしている。改札口に正面衝突しそうだ。ミラは無意識のまま、カートを握りなおした。あと三十センチというところでミラは瞼をぎゅっと閉じた──スーッ……涼しい風がミラの頬をかすめる。ミラは目を開けた。
 紅色の蒸気機関車が、人々であふれかえるプラットホームに停車している。ホームの上には『ホグワーツ行特急11時発』と書かれていた。
 「大丈夫だった?」
 背後から母親の声がしてミラは振り返る。改札口のあったところに「9 ¾」と書いた鉄のアーチが見えた。なるほど、そういうことだったのか。
 「びっくりしたよ。壁を通り抜けるって、先に言ってくれればいいのに」
 ミラは手のひらに残った汗を服で拭いながら肩をすくめた。母親はクスリと笑ってミラの髪を撫でる。その時、聞き覚えのある男性の声が聞こえた。
 「グレース、ミラ!どうやら間に合ったようだな」
 「アーサー」グレースは軽やかに笑って答える。「ええ。ミラったらもう、なんでもかんでもトランクに詰めるものだから」
 眼鏡をかけたこの細身のおじさんは、アーサー・ウィーズリーおじさんだ。
 「ということはミラ、そのひとつ余分なトランクの中身は──?」ウィーズリーおじさんの目がランランとする。
 「おじさんの予想通り」ミラがニヤリとして言った。
 ウィーズリーおじさんはミラの──イギリスで唯一の──マグル製品好きの友人・・だ。ウィーズリーおじさんも母親と同じイギリス魔法省で働いている。「マグル製品不正使用取締局」の局長だ。
 ミラが母に連れられて魔法省をはじめて訪れたとき、ビル内で迷子になってしまったことがあった。迷い込んだ先は地下二階、偶然にも「マグル製品不正使用取締局」の部屋がある階だった。表札に「マグル製品」という文字を見つけたミラは、好奇心に負けて扉を開けてしまう。そこにウィーズリーおじさんがいたのが最初の出会いだった。たしか、今年の夏ごろの話だったはずだ。
 「やあ、ミラ!元気だったかい?」
 突然、アーサーおじさんの後ろから赤毛の男の子がひょっこりと体を出して、ミラの頭のゴーグルをつついた。ミラがよく知っている男の子だった。ウィーズリー家の四男、フレッド・ウィーズリーだ。
 「やあ、フレッド。気分は……あんまりよくないね」ミラは紅色の蒸気機関車を見上げて困り笑いをした。「いよいよって感じだよ」
 「ウソつけ!元気なはずに決まってるさ。うちの納屋から大量にマグル製品を持って帰ったんだから」
 またもう一人、赤毛の男の子が飛び出してくる。今度はウィーズリー家の五男、ジョージ・ウィーズリーがミラに話しかけてきた。兄であるフレッドと全くおんなじ顔をして笑っている。彼らは双子だった。既に荷物はコンパートメントに置いてきたのか、二人とも身軽だ。
 フレッドとジョージはミラのトランクに視線をうつすとニヤニヤと顔を見合わせる。ミラのトランクの中身がどうなっているか、最初からわかっているようだった。
 「絶対に触らせないぞ」ミラが双子を睨んだ。「君たちに触らせたらロクなことがないって、夏の間でじゅうぶんわからされたからね」
 フレッドとジョージはミラの目つきを見ても動じない。それどころかニヤニヤを更に深めたので、ミラは助けを求めるかのような目線で今度はウィーズリーおじさんを見た。しかし、おじさんは申し訳なさそうに禿頭を掻くと苦笑いをこぼしただけだった。
 マグルに興味津々のウィーズリーおじさんとマグル製品を愛するミラが意気投合するのにはそう時間はかからなかった。ミラは何かと理由をつけて母親の職場についていくようになり、「マグル製品不正使用取締局」へ出入りするようになる。
 五回目の訪問の時、納屋に壊れたマグル製品がたくさんあるから見にくるといいとウィーズリーおじさんはミラを自分の家に招待してくれた。グレースはミラをイギリスへ強引に連れてきた負い目があったのか、この話を聞いてしぶしぶ了承してくれた。
 おじさんとおばさん、そして七人兄弟のウィーズリー一家はミラとグレースを賑やかに迎えてくれた。何度か遊びに行く中で、特に仲良くなったのが同い年のフレッドとジョージの双子だった。彼らも秋から同じ「ホグワーツ魔法魔術学校」に入学すると聞いたミラは同級生ができてちょっぴり嬉しくなった。しかし、この双子がとんでもない・・・・・・悪戯好きで、ミラは遊びに行くたびに被害にあった。フレッドとジョージは、ミラの反応が毎回予想以上であることを理由に嬉々としてミラの後ろにひっついて悪戯を仕掛け続けた。
 しかし、その悪戯の数と同じくらい、フレッドとジョージはミラを安心させるためにイギリスの魔法界の事情を教えてくれた。既にホグワーツに通っている兄たちから聞いた学校の授業についてや噂の話もミラに全て話してくれた。ミラの不安が完全になくなることはなかったが、それでもずいぶんと助けられた。悪戯には頭を悩まされるが、結局ミラにとって双子は特別仲の良い友人になった。
 「はやく行こうぜ、ミラ」
 フレッドがミラの肩を叩いた。これからの学校生活へ期待を込めるようにキラキラと目を輝かせている。
 「ぐずぐずしてるとミラの分の席がなくなっちまうぞ」ジョージもフレッドと同じように目を輝かせたままニヤリとした。
 「わかったって」
 ミラは観念したような声で言うと、フレッドたちの後ろに続いてカートを押しながらのろのろと歩き始めた。
 「三人とも、しっかりね!」
 声につられて振り返ってみるといつの間に駆け付けたのか、ウィーズリーおばさんがハンカチを目に当てながらミラたちに向かって叫んでいた。隣には六男のロン・ウィーズリーと、一番年下の妹のジニー・ウィーズリーが並んで立っている。ジニーも兄弟と離れるのが寂しいのか、ぐずぐずと鼻を真っ赤にしながら泣いていた。
 ウィーズリーおじさんが妻を慰めるその横で、グレースが何も言わずに手を振っている。人相の悪さはそのままだったが、彼女の目にも涙が光っているのが見えた。
 ミラはそれまでしまいこんでいた、母親と離ればなれになる寂しさが急に湧き上がってくるのを感じた。どんなに母親に悪態をついていようと、親元を離れることをちっとも気にしていなかったといえばそれは大きな嘘になる。それに、母が意地悪で魔法を学ばせようとしているわけではない事も本当は昔からわかっていた。ミラは溢れそうになる涙を堪えて深呼吸をすると、必死になって日本語を叫んだ。
 『お母さん、いってくるね!』
 ミラの無意識な日本語にグレースの顔はみるみる真っ赤になった。彼女はこれ以上の涙を見せまいといったふうに手で顔を覆うと肩を震わせる。その姿に、立派な魔女になってほしい思いと、それでも娘を手放したくない思いの葛藤が透けて見えたような気がした。
 堪らなくなったミラは母親に背を向けて、ついに覚悟を決めた。今の自分にとって、この母の姿は、母親からのじゅうぶんな愛情表現だった。手招きをする双子の後ろには、紅色の蒸気機関車がそびえたっている──「ホグワーツ行特急」とミラがようやく対峙する。もう一度だけ深呼吸をした。瞳にとどめていた涙が、一粒だけこぼれ落ちた。

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