カナの輪の集会
三月に入ると、空はようやく冬の重たい雲を追い払いはじめたが、夜の冷え込みはまだまだ厳しかった。
闇の魔術に対する防衛術の教室は、いつもよりいっそう広く、寒々としていた。天井から吊るされた古いシャンデリアの蝋燭の炎が、教室に集められた「カナの輪」のメンバーを照らしていて、ところどころからボソボソ囁くような声が聞こえてくる。ミラは他のメンバーの会話には加わらず、教室の隅っこであぐらをかき、ぼんやりとシャンデリアを眺めていた。
教室の扉がぎぃ、と軋んだ音を立てて開いた。冷たい空気が吹き込む中、先頭に立って現れたのはチャーリー・ウィーズリーだった。そしてその後ろには、いつものように悪戯っぽい顔したフレッドとジョージだ。
ミラは入口に目をやり、片手を軽く挙げて合図した。それを見たウィーズリー兄弟たちはすぐにミラに気づき、ぱたぱたと足音を立てて駆け寄ってきた。
「やあ、ミラ、調子はどうだい?」チャーリーが言った。
「いいよ」ミラはゴーグルを触りながら、そう答えた。
「早かったみたいだな」フレッドが言った。
「今日は午後の授業がなかったんだ」ミラはまだゴーグルから手を離さずに続けた。「かといって、寮に戻ってアダリンの小言を聞く気にもなれなくてね……」
「あのクィディッチに熱心な女の子だね」チャーリーが言った。「まだ『カナの輪』について認めてないのかい?」
「そんなことはないんだが……」ミラは唸った。
「それとこれとは別ってこった。そうだろ?」
ジョージの言うことがまさにその通りだったので、ミラは苦笑いをして頷いた。そうだ、カナの輪に入ってからというものの、アダリンは「カナの輪のことと、貴方を心配することは別問題でしょう?」といわんばかりにいつも口うるさかった。
「アダリン嬢らしいな」フレッドがニヤニヤした。
「きみのジャガイモに対する異常な執着についても別問題だって、ちゃんと言ってやれよ」ジョージもうれしそうにクックッと笑って続いた。
「よくないよ。フレッド、ジョージ」チャーリーが怒ったような困ったような顔をした。
「でもチャーリー、きみだってそう思うだろ?アダリンの……」
フレッドがまだアダリンについてなにか言ってやろうと口を開きかけたちょうどそのとき、教室の入口が再び開いた。フードを被ったローブ姿のアリーシャ・スミスが、相変わらず人の好さそうな顔で立っていた。すぐ後ろにいるのはハッフルパフの上級生、ベアトリス・ヘイウッドさんだ。ミラは思わず立ち上がり、ゴーグルから手を離した。フレッドやジョージ、それに他のメンバーもパッと話をやめ、全員アリーシャたちの方へ視線を向けた。
アリーシャとヘイウッドさんはミラたちを一瞥すると、静かに教室へと入ってきた。
「『カナの輪』がなにかを必要としてるなら僕に知らせてくれ、アリーシャ」最初にアリーシャに声をかけたのはジェイだった。「すぐに調達してみせるさ」
ジェイのニヤリ顔につられて、他のメンバーも堰を切ったようにしゃべり始めた。
「デニスも私も、必要であればどんなことでもする覚悟ができてるわ!その時になったら指示を出して、アリーシャ」チューリップ・カラスさんが声を上げた。(デニスとは、彼女のペットのカエルの名前だ)
「こんなふうに集まるのっていいわね」スリザリンの上級生、リズ・タトルさんが言った。「なんだか……心強いわ」
ミラもアリーシャたちに近づいて、挨拶をした。
「アー…えっと、お疲れ様です。アリーシャ、それにヘイウッドさん」
「相変わらずの礼儀正しさだね、ミラ」アリーシャさんがほがらかに言った。
「ミラ、その『ヘイウッドさん』はやめてって何度も言ってるじゃない……特に、今みたいなときはなおさらね」
ヘイウッドさんが首を傾げて笑った。顔を隠すように流れている片側の前髪が、ふわりと揺れた。それに続くように、奥からもう一人のハッフルパフの女性が現れた。彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべながらミラに言った。
「ベアトリスの言う通りだわ、ミラ。ここには『ヘイウッドさん』が二人もいるのよ?忘れちゃったの?」
ペニー・ヘイウッドさんだった。きれいなブロンド髪、明るい青い目、どれもこれもベアトリスさんとそっくりだ――そう、彼女たちは姉妹だった。
「す、すみません。ペニーさん、それに……ベアトリスさんも」
「僕たちのことは『ウィーズリーさん』って呼んだって別にかまわないんだぜ」フレッドが意地悪くニヤリと笑った。
「勘弁してくれ……多くても四人は振り返ることになるよ」チャーリーが首を振り振りして笑った。
それからアリーシャとヘイウッド姉妹は教室の隅で二言、三言なにやら言葉を交わしていたようだった。ミラの位置からはなにを話しているのかまでは聞き取れなかったが、どちらかがうなずき、もう一方が小さく笑ったのが見えた。やがて会話が終わると、アリーシャはローブを翻しながら、教室の一番奥にある古びた机までやってきた。同じく『カナの輪』のリーダーであるベン・コッパー、メルーラ・スナイドもアリーシャに続いた。
「皆、聞いてくれ。最後の呪われた部屋を見つける時が来た――一番有力なのは黒い湖の中だ」
アリーシャがカナの輪にそう告げたとたん、教室に張りつめた沈黙が流れた。
黒い湖はホグワーツの南に広がる、大きくて静かな湖だ。一年生の新学期、ホグワーツ城行きの小船が渡ったのもこの湖だった。あの夜の澄んだ空気と静けさは、今でも忘れられない。そんなところに「呪われた部屋」があるだなんて……。
誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。その音でさえ、教室の高い天井にまで響くほどだった。
アリーシャはそんなメンバーの様子を見ながら続けた。
「だから、湖に潜んでるものに対応できるように備える必要がある」アリーシャは一度深呼吸をしてからまた言った。「まずはどんな危険に遭遇する可能性があるか考えよう」
それから、「闇の魔術に対する防衛術」の教室にザワザワという声が沸き起こり始めた。
「湖には危険な生物がたくさん住んでる。でも、僕ならなんだって対応できるよ」最初にそう言ったのはベン・コッパーさんだった。
「私はどっちかっていうと森の方が詳しいわ」ハッフルパフのキアラ・ロボスカさんが悔しそうにコッパーさんを見た。
「私も、そうかもしれません」ミラが言った。
「でしょうね、ミラ」カラスさんが笑った。「禁じられた森に特に詳しいのはあなたと、それと悪友のフレッドとジョージだけ……そうでしょ?」
「そ、そういう言い方はやめてください――」
ミラがカラスさんを避けてあちこちに目をやると、それを見たフレッドとジョージが顔を見合わせてケラケラ笑った。
「そもそもたった一人の決闘士がどうやってグリンデローの群れに立ち向かえるって言うんだ?」ハッフルパフのディエゴ・キャプランがミラたちの会話を遮った。「それに、グリンデローのことも、戦闘を余儀なくされた時にどう戦うのが効果的か、まだ突き止められてない」
「僕のグループは海洋生物を訓練してるんだ。その生物達が危険にさらされるなんてことはないよな?」チャーリーが心配そうに聞いた。「グリンデローが危険だってことはもう分かってるけど、ダイオウイカが脅威になるかどうかは断言できないよ。水中人のことだって同じだ」
「チャーリー、気持ちはよくわかるけど……」ミラが言った。「今回はそうも言ってられないだろう?これは、ホグワーツの危機なんだ」
「ミラ――君ってば――今の言葉をグレースおばさんが聞いたら泣いて喜ぶと思うよ」
チャーリーがからかうようにミラを見たので、ミラは気まずそうにそわそわした。チャーリーはカズヒロ・シラトリのことも知っているのだろうか。
ミラたちの会話をよそに、今度はレイブンクローのバディーア・アリさんが鼻高々に話しはじめた。
「タルボットと私で湖の地図を作ったわ。それを使ってどう対応するか計画を立てていたの」
「僕達は……結構いいコンビだと思う」バティーアさんと同じ寮のタルボット・ウィンガーさんが落ち着き払った声で続いた。
「触手、グリンデロー、水中人……」アリーシャは口元に手を当て、眉をひそめた。「うーん、わたしたちには黒い湖に関する知識が足りないな」
「そんなことより、湖の水が冷たいかもっていうのは考えた?」
最後にトンクス先輩がクスクス笑って冗談を言ったので、フレッドとジョージは大喜びした。
「つまり、細かいところはまったく調べられてないってことか」
アリーシャの言葉に、教室のガヤガヤ声が静かになった。
「……それなら、専門家から意見を聞くのが一番だ」アリーシャはなにか思いついたように言った。「ケトルバーン先生と話そう」
「ケトルバーン教授って?」
ミラは隣のチャーリーを見た。
「シルバヌス・ケトルバーン教授――魔法生物飼育学の先生だ。ちょっと変わってるけど、いい先生だよ」
チャーリーは一瞬だけミラのほうへ目を向けてから、アリーシャの邪魔をしないように小さい声で答えた。ミラは、ケトルバーン先生について話すチャーリーの横顔がどこか誇らしげなことに気づき、彼の夢がドラゴン使いになることだということをふと思い出した。
アリーシャはミラとチャーリーの会話には気づかなかったようで、ローブの袖口を整えながら最後にこう言った。
「……ただし、私たちが何をしようとしてるのかを悟られないように気を付けてくれ」
「カナの輪」の会議が終わったあとも、活動はひそかに、しかし確実に続いていた。
夜の「闇の魔術に対する防衛術」の教室ではトンクス先輩のもとで本格的な訓練が行われていたし、変身術の練習では、相変わらずフレッドやジョージたちがふざけ回るせいで教室のあちらこちらから煙と火花が噴き出していた。
そんな中で防衛術でも変身術でも顔を合わせることの多かったトンクス先輩は、いつのまにかミラと親しくしてくれるようになっていた。
「ミラはずいぶんと防衛術が上手くなったよね」
トンクス先輩がそう言ったのは、三月も半ばのある朝、二人がハッフルパフ寮の地下室から続く石の螺旋階段を上っているときだった。
「そ、そうかな?私……」
ミラは鼻をすすりながら答えた。早朝のひやりとした空気は階段の奥にまで染み込んでいて、壁の石にも冷たさが残っていた。
「本当よ。わたし、おべっかなんか使わないんだから。でしょ?」トンクスさんが明るい声で言った。「ミラ、あなたには間違いなく才能があるわ」
「ありがとう、トンクスセンパイ」ミラは言った。「でも、何度も言ったと思うけど……才能があるのは私じゃなくて、『ダイゴロウ』のほうなんだ」
「今、ダイ――なんて言ったの?」
ミラははっとして、肩からずり落ちたローブの裾を引き上げ、口に当てた。しまった、と思った。「ダイゴロウ」は、彼女が自分の杖にこっそりつけた名前だった。心の中だけで呼んでいたはずの名前がつい口をついて出てしまったのだ。そのことをトンクス先輩に説明すると、トンクス先輩は大声で笑い出した。
「おもしろーい!」トンクスさんは言った。「杖に名前なんてつけてたのね。それって、日本の文化なの?」
「文化というか……」ミラはなんだか気恥ずかしい思いで杖を取り、指でくるくるともてあそびながら答えた。「『ツクモガミ』という日本の神様がいるんだ。日本には、百年を超えて存在した道具には心が宿るって考え方があるんだよ――この杖に使われている桜の木も、きっとそういう存在なんだと思っていて……ほら、私の一つ前の杖がどうなってしまったか、知っているだろう?私、こうみえても、とことん反省したんだ……」
「へえ」トンクスさんがミラの杖をまじまじと見つめた。
いつのまにか二人は大広間の樫の扉の前に立っていた。扉の奥から、にぎやかな話し声と朝食の匂いがかすかに漏れ出してきている。そのとき、扉が重々しい音を立てて開いて、隙間から誰かの手から逃げ出した「噛みつきフリスビー」が勢いよく飛び出してきた。ミラとトンクス先輩は慌てて屈みながら小走りになって大広間に入っていった。
ハッフルパフのテーブルでは、すでにアダリンとセドリックがおしゃべりをしながら朝食を食べている最中だった。
「あら!」先にミラとトンクス先輩に気づいたのはアダリンだった。「ミラ、トンクス、おはよう」
「おはよう、アダリン。それにセドリックも――足の調子は?」
ミラはアダリンの隣に座りながら言った。セドリックの骨折が完治して退院したのは、つい三日前のことだ。
「おはよう、ミラ。もう問題ないよ、絶好調さ」セドリックが意気揚々と答えた。
「ふたりとも、早朝から箒の練習をしてたんでしょ?どうだった?」トンクス先輩が言った。
「ミ・オイズ・エン・グレート!」アダリンはミラの分の皮つきポテトを皿によそいながら、うっとりした。「少し寒かったけれど……人気はないし、自由で、風がとにかく気持ち良かったわ」
「彼女、どんどん箒がうまくなるんだ」セドリックが微笑んだ。「マグル出身だなんて信じられないくらいだよ」
「あら、言いすぎよ。セドリック」アダリンは言った。「私たちの間で――とくに箒のことについては――おべっかは使わない約束でしょう?」
アダリンの言葉にトンクス先輩がニヤリとしてミラに目配せしたので、ミラはゴーグルと頭の間を指で掻きながら苦笑いした。
「おべっかなんじゃないさ」セドリックが驚いたように言った。「アダリン、君はきっと来年には良い選手になる。これはミラとも話していたことなんだ。そうだよね、ミラ?」
セドリックがミラのほうを向いて、ウィンクをした。ミラは急いで皮つきポテトを飲み込んで、咳ばらいをした。
「本当のことさ、アダリン」ミラは、いつだったかセドリックと「カナの輪」の活動をしているときにそんな話をしたことを思い出していた。
「もちろん、僕も来年にはクィディッチの選手になるつもりだけどね」セドリックが言った。「僕とアダリン、二人が代表選手になれば、ハッフルパフはいままでで一番のチームになるはずだよ!」
「ちょっと待ってよ、セドリック」ここでトンクス先輩が口を挟んだ。「確か……アダリンもセドリックもシーカーになりたいんじゃなかった?二人はライバルだと思っていたのに」
トンクス先輩の言うことはたしかにそうだった。去年のクリスマス休暇の前、帰省する汽車の中でアダリンはハッフルパフのシーカーであるダッシュウッド・ローレル選手のようになりたいと間違いなく言っていたし、毎日持ち歩いている『クィディッチ今昔』だって、いつも読むのは決まってシーカーのページだったはずだ。
「それが――その――ねえ……?」アダリンがセドリックを横目で見ながら、もったいぶって言った。「実はね、私、今はキーパーになりたいと思ってるの」
「シーカーじゃなくて、キーパー⁉」ミラは口からベーコンが飛び出そうになった。「また、どうして?」
「ずっと思っていたことなのよ」アダリンは顔を赤くさせた。「ローレルにもたくさん話を聞いてみたんだけれど、彼女もそう言っていたの。私にはキーパーが合うんじゃないかって……」
「憧れのダッシュウッド選手にそう言われたからって、すぐに気持ちが変わったとでもいうのかい?」ミラは目を丸くして言った。
「ミラ、アダリンの反射神経と瞬発力は素晴らしいものだよ」セドリックが言った。「ローレルはそのことがよくわかってた……もちろん、アダリン自身もね」
「ほーう?」ミラはからかうような視線でアダリンを見つめた。「おべっか禁止のセドリック選手がそう言うなら、これは間違いないぞ」
「もう、勘弁してちょうだい!」アダリンは恥ずかしそうに顔を覆い、指の間からくぐもった声で話し続けた。「私を褒め殺しして、どうしたいのよ」
「つまり、どっちにしろ君が将来有望なのは変わらないってことさ」ミラは、呻いているアダリンを顎でしゃくりながら、セドリックに向かってニヤリとした。
「おいおい、今、聞き捨てならない話が聞こえた気がしないか?」
突然、背後からひょいと軽口が飛んできた。ミラは長椅子の上でぴくりと肩を揺らし、思わず振り返った。
「ああ、僕の聞き間違いでなければ、しっかりと聞こえてたさ」
顔中にそばかすを散らしたウィーズリーの双子が――まるで見世物でも始めるかのように――にやにやしながら大股で歩いてくるところだった。