魔法薬学の授業

 ミラがホグワーツに入学して一週間が経つ。この一週間は、ほとんどの時間があまり良いものとは言えなかった。
 ホグワーツ城の廊下を歩いているとき、ミラは何度もスリザリン生に間違われた。スリザリン生に次の授業の場所を聞かれたり、スリザリン寮の合言葉を聞かれたり……いちいち間違いを正すのもめんどうだった。理由は自分の人相にスリザリンの精神のひとつである「狡猾」さが見えるところにあるのはわかっていたが、スリザリン生にも優しそうな顔の生徒はたくさんいるのに、よりによってハッフルパフのローブを着た自分に声がかかるのはなぜなのだろうと納得はしていなかった。
 これらが理由で、スリザリン生だけではなくほかの寮の生徒まで勘違いをされるようにもなっていた。グリフィンドールの生徒たちはフレッドとジョージとミラが話しているところや悪戯を仕掛けられているところをよく見ているので、勘違いする人たちは他の寮よりも少なかったが、当の本人たちはミラがスリザリン生に勘違いされている場面に出くわすたびに嬉しそうに大げさに騒いだ。アダリンは双子を𠮟ったが、いっそのこと騒いでもらったほうが楽だとミラは思うようになっていた。
 次に、ミラたち一年生はさまざまな授業を受けたが、どの授業もミラにとって関心の種になるものはなかった。
 まず「変身術」や「妖精の呪文」、「闇の魔術に対する防衛術」のような魔法の最もたるものというような授業はやはり好きになれそうにない。マッチを針に変えるだの、ものを宙に浮かす魔法だの、ゾンビとの戦い方だの、どれもこれも時間の無駄のように思えてミラは仕方がなかった。
 しかし、図らずとも優秀な出来だったのはこの三つの授業である。これは皮肉にもマホウトコロでの経験が活かされたに違いないとミラは思った。(アダリンは納得いかない様子であったが)。
 「薬草学」は杖を振らない分、そこそこマシだったが、凶暴・・な白菜のお世話などはもってのほかであった。
 それからミラが一番つまらなさそうだと思っていた「魔法史」の授業は、唯一ゴーストが教えるクラスだった。ゴーストの授業とはどんなものかと臨んだものの、結局予想を裏切らない退屈な内容だった。しかし、ピンズ先生の一本調子な講義は生徒たちの眠気を誘い、おかげでミラはよく眠れた。
 最後に、なんといっても「天文学」だろう。「天文学」の授業ほど最悪な授業はなかった。望遠鏡を用いて星を観察し、いろいろな星の名前や位置を覚えさせられる。ミラはとことん星に興味がなかったし、なにより真夜中の授業というのが気に食わない。眠たげな目をこすりながら授業を受ける生徒も少なくはなかった。もちろんミラもそうだった。しかし「天文学」の授業がなくとも、フレッドとジョージが二日にいっぺんはミラを深夜の城探検に連れ出していたので、どちらにしろミラはこの一週間は寝不足気味だったのだが……。
 「今日は、午後の授業がないみたい」
 「最高だね」
 金曜日の朝、ミラはアダリンと大広間で朝食をとりながら会話をしていた。アダリンは午後の授業がないのが不服なようで、しかめっ面をしながらオートミールに蜂蜜をかけている。ミラにはアダリンのその気持ちがちっとも理解できなかった。
 「一時間目は、なんだっけ?」ミラがトーストをかじりながら尋ねた。
 「レイブンクロー生と魔法薬学の授業よ」アダリンは答える。「私たち、魔法薬学のクラスは初めてよね。レイブンクロー寮のひとたちと授業を受けるのも……楽しみだわ」
 アダリンの瞳が、まるで星屑を散らばしたかのようにキラキラと輝きだす。一方でミラのはしばみ色の瞳は深みを増して曇ったままだった。
 「ご飯を食べたらすぐに向かいましょうね。上級生が言っていたんだけれど、魔法薬学の教室ってすっごい遠いんですって」

 アダリンの言う通り、魔法薬学の教室は驚くほどに遠かった。大階段を最後までくだるのも一苦労だったが――なんと、ホグワーツには一四二もの階段がある――それから地下牢までも、ずいぶんと歩かされたのだ。
 魔法薬学の教室に到着したミラたちは、思わず身震いをした。ここはホグワーツ城にあるどの教室よりも寒い。それだけではない。壁にはずらりと瓶詰めにされた動物たちが並んでいる。ずいぶんと気味が悪かった。
 ミラとアダリンが席について、少し経ってからひとりの先生が黒いマントをはためかせながら教室に入ってきた。ねっとりとした黒髪に、鉤鼻、それに顔は黄土色だ。隣に座っていたアダリンが「セブルス・スネイプ先生よ。スリザリンの寮監の」とミラの耳元で囁く。
 スネイプ教授は生徒たちには脇目も振らずに教卓までまっすぐ歩くと、勢いよく振り返った。
 「これは最初の魔法薬の授業だ。途方に暮れた目つきを見ると……これが最後かもしれないがな」
 スネイプ教授が猫なで声で言うと、鉤鼻を鳴らして生徒たちを一瞥した。まるで私たちには最初っから期待などしていないといったような口ぶりだ。ミラにとっては願ったり叶ったりのことであったが、アダリンはずいぶんなご挨拶だと言いたげにむっつりとしている。
 「他の授業とちがって、これはまぬけな杖振りの場所ではなく、呪文の発音間違いなど許されない。貴様らはここで、繊細な科学と正確な魔法薬の作り方を学ぶのだ。感覚を惑わせよ。人の心を操れ。口を開くな」スネイプ教授は自身のマントを巻き込みながら腕を組んでそう言った。
 ハッフルパフとレイブンクローの生徒たちは魔法薬学への期待どころかあっという間に尻込みをしてしまったようだったが、ミラはスネイプ教授の演説に──先ほどの気持ちが簡単に裏返ってしまうほどに──今までで一番心が躍った。「まぬけな杖振り」がない上に「繊細な科学」ときた。自分にぴったりな授業なんじゃないかとさえミラは思った。
 スネイプ教授は目を見開きながら身を乗り出すミラにチラリと目をやったが、何事もなかったように(本当にそこには何もいなかったように)「今日は簡単な『おできを治す薬』を作る」と続けた。それから生徒を二人一組にさせると、スネイプ教授は長いマントを翻しながら生徒たちが魔法薬を調合するのを見て回った。
 「さっさと魔法薬を作り終えろ。どんな酷い出来かを見てやろう」
 そのスネイプ教授の言葉通り、ほとんどの生徒が注意を受けていた。ミラのもとにスネイプ教授がやってきたのは、ミラがちょうどヘビの牙を嬉々として・・・・・砕いているときであった。
 ミラはスネイプ教授の気配に気づくと材料を砕く手を止めて、こちらから話しかけた。
 「スネイプ教授、質問があるのですがよろしいでしょうか?」
 ミラの待ってましたといわんばかりの声色に周りの生徒、そして隣にいたアダリンもギョッとした顔をしてミラとスネイプ教授をかわるがわる見つめた。スネイプ教授の片方の眉毛がピクリと動く。
 「なんだね?トウドウ。言ってみなさい」
 スネイプ教授は怒りを封じ込めるようにより一層の猫なで声で答えた。いかにも「見当はずれな質問をしようものなら許さない」といった様子だ。静まり返った教室に緊張が走る。しかし鈍感なミラはこの時、そのことには全く気づいていなかった。
 「教科書に書いてある『四計量の砕いた蛇の牙』ですが、厳密に言うとどれくらいの大きさに砕くのでしょうか?」ミラは興奮気味に尋ねた。「粉々にしてしまっていいのか、それともある程度形は残すのか……どのような大きさにして計ればいいんでしょうか──ああ、少し不親切ですね、この教科書」
 あまりに向こう見ずなミラの質問に、隣の調理台にいた一人のレイブンクロー生がヒッと声を漏らした。アダリンが「やってくれた」と手に頭をやり眩暈をおさえるような仕草をする。ミラはなぜこんなに教室がシーンとするのか理解できなかったが、アダリンや周りの生徒たちの様子を見て、何か良くないことをしてしまったことにだんだんと気がついてきた。
 恐る恐るミラがスネイプ教授の顔を見上げると、スネイプ教授は唇をわなわなと震わせていた。スネイプ教授が少しでも気を抜いたら口から怒鳴り声か響いてくるんじゃないかと思うほどだ。今度はミラが小さな悲鳴を漏らして後ずさりをした。
 「『適宜』という言葉を知っているかね、トウドウ……」スネイプ教授がお腹から捻りだすような低い声で言う。「ありがたいことに、魔法薬学者の中には君のような馬鹿はひとりも存在しない。君にとっては残念な話だろうがな。いちいちそんなことを気にして、真夜中まで授業を続ける気かね?」
 ミラは顔を真っ赤にして、すみませんでしたと消え入るような声でスネイプ教授へ謝った。スネイプ教授は気の済んだようには見えなかったが、体を翻して次の調理台に歩き出した。ミラは少しだけ安心して短く息を吐く。しかしスネイプ教授はミラに背を向けたまま、また口を開いた。
 「トウドウ、君はくだらない質問で多忙な教授の貴重な時間を奪った。よって、ハッフルパフは一点減点」
 ハッフルパフ生からいくつかの落胆の声があがる。ミラの真っ赤だった顔が、瞬く間に今度は真っ青になった。──やってしまった。新入生歓迎式の前に、学年末までに最高得点を稼いだ寮は名誉ある寮杯が与えられると、マクゴナガル教授が言っていた。こればっかりは、城中のどこを探しても無関心な生徒はミラだけだったようで、みんなが寮の加点を目指して躍起になっていた。せめて、邪魔にはならないように過ごしていくはずだったのに……。
 「もう、どこまで・・・・日本人なのよ、あなたったら」
 アダリンが呆れたように言うと少しだけクスクス笑いが起きたが、ミラはちっとも救われなかった。

 「もう、終わったよ。最悪だ」
 「そんなに落ち込むことじゃないわ、ミラ」
 魔法薬学の授業が終わり、教室を誰よりも早く飛び出したミラは後から追いついてきたアダリンと中央ホールを足早に歩いていた。
 「減点されてしまったんだぞ?」ミラは悲しみを隠さない声で言った。「ただでさえ、みんなには怖がられているのに。これじゃあもう……」
 「それでも結局、『おできを治す薬』は完璧だった。そうでしょ?」アダリンがミラの早歩きについていきながらミラの顔を覗き込んだ。「それも、ほとんどあなたのおかげでね」
 アダリンの言う通り、調合は上手くいった。もともとミラは手先が器用だ。それに効率を考えながら順序立てて作業するのも得意だった。そんなミラにとって魔法薬学の調合は予想通り楽しかったし、いつか自分の得意科目になるかもしれないと思ったほどだ(完璧にできあがった魔法薬を前にしてもスネイプ教授はムスッとしたままだったが)。
 「それでも、減点は減点だろう」ミラは溜息をついた。
 「おい、気にすることないぜ
 ふと威勢の良い声がミラの後ろから通り抜けてきた。アダリンの声ではない、男の子の声だ。ミラが驚いて傍らの声の主を見ると、ハッフルパフの同級生がミラたちと並走しながらニッコリとしていた。
 「あのスネイプって先生、嫌な感じだったよな。でも野郎のへんてこりんな顔が見れて俺はむしろスカッとしたね」男の子は続けて言うと今度はニヤリとした。「ミラ、君っておもしろいんだな。最初は怖いと思ってたけど……まあいいや、今度ゆっくり話そう」
 男の子はミラに手を振ると、ミラたちを追い越してそのまま行ってしまった。ミラはポカンとしながらアダリンを見つめようとしたその時、今度は肩を叩かれた。ミラの肩に手を置いたのはまた別のハッフルパフの同級生だった。
 「ミラ、減点のことなんか気にしないで。あなたって最高」ハッフルパフの女子生徒は興奮した様子でミラに笑いかける。「教科書は何度も予習したつもりだったけど、まさかあんな質問が出てくるなんて。それにあんな怖い先生に対して勇気があると思ったわ」
 ミラがなにか返事を繰り出そうとうろたえている間に、女子生徒の語りはもう一言だけ続いた。
 「ずっと睨まれてるのかと思って、なかなか話しかけづらかったけど……あなたとは一度ちゃんと話してみたいな」
 女子生徒はそう言い切ると矢継ぎ早に「またね」と言って、先ほどの男の子のように先へ歩いていってしまう。
 それから中央ホールから大広間に辿り着くまで、同じようなことが何度もあった。すべてがハッフルパフの同級生たちであった。きっとみんな自分を嫌うと思っていたのに。思いもよらない同級生たちからの励ましに、ミラは一言二言返事をするのがやっとだ。
 大広間の入るときに「怖いと思ってたけど、意外に天然なんだね」とクスクス笑う生徒を最後にようやくミラたちは落ち着けるようになった。状況が未だに飲み込めずに溜息をつきながらハッフルパフのテーブルに腰を下ろしたミラを見て、アダリンは微笑んだ。
 「誤解が解けたみたいでよかったわね、ミラ」
 「どうしてみんなあんなに優しいんだろう?」ミラの眉間がギュッと寄った。「──もしかして、全部皮肉だったりして……。ほら、イギリス人は皮肉が大好きだろう?」
 「失礼しちゃうわ」アダリンは足を組みなおしてわざとらしいふくれっ面を浮かべた。「イギリス人なら、もっと綺麗な・・・皮肉を考えるもの。あれが本当に皮肉だとしたならね」
 「そういうところがすでに皮肉っぽいんだよなぁ……」
 ミラの返事にアダリンが肩をすくめる。ミラがもう一言なにか言ってやろうとしたところで急に視界が揺れた。ミラが驚いて振り返ると、フレッドとジョージが楽しそうにミラの肩を何度も何度も揺さぶっていた。
 「目がまわる!やめておくれ!」ミラが二人の手を払いのけて言う。
 「ミラ、聞いたよ」フレッドがいつものニヤリ顔を広げた。「魔法薬学の授業で減点されたんだって?」
 「あら、情報が早いのね」アダリンが驚いて口に手をあてた。
 「こわ~い顔をしたハッフルパフ生が、スネイプに盾突いたってね」ジョージが言う。
 「ちょっと、私、盾なんかついてないぞ!
 ミラが叫ぶと双子は意外そうな表情を浮かべた。
 「僕たちが聞いた話じゃ、ミラがスネイプに喧嘩を売って、スネイプは顔を真っ赤にして怒ってたって」フレッドが言う。
 「そうそう。カンカンに怒ったスネイプに五十点も減点されたんだろ?」とジョージ。
 何もかもがデタラメだ。そんなに減点なんかされてないし、真っ赤な顔になったのはスネイプ教授ではなく私のほうだ。双子たちの言い分に唖然とするミラをよそにアダリンは噴き出した。
 「グリフィンドールは噂がまわる早さも、ねじまがる早さも一流ね」
 「私がそんなことするはずないだろう?」ミラが焦燥の表情を滲ませて早口で言う。「ちょっと的外れな質問をしてスネイプ教授の気分を損ねただけさ。減点だって、一点だけだよ」
 「なあんだ、ほんの一点ぽっちか」
 ジョージが両手を広げた。まるで一点だけでは不名誉極まりないといいたげな態度だ。
 「まあなんにせよ、ミラ・トウドウ様はじめての減点だ。嬉しくてたまらないよ」フレッドが悪戯っぽく笑った。
 「勘弁しておくれよ!」
 ミラはフレッドの頬を軽くパチンと叩くと、テーブルに向き直って双子からそっぽを向いた。
 「なあフレッド。それなら今日はちょうどいい日になったんじゃないか?」
 ふてくされたミラの背後でジョージがなにやらフレッドに話しかけている。
 「そうだな。記念すべき日だ。今日という日こそふさわしい」
 フレッドが言い終えると、ジョージと一緒に嬉しそうにミラの顔を伺い見た。ミラは嫌な予感がして、双子のほうをジロリと睨む。それから疑うような目線をフレッドとジョージの間でいったりきたりとさせた。
 「よからぬことね」アダリンが呆れるように笑うと、おもむろに席から立ち上がる。「巻き込まれるのはごめんだわ。ミラ、先に談話室に戻っているわね」
 私だって同じ気持ちなのに!ミラは縋るような目でアダリンを見つめたが、フレッドとジョージがミラを逃がさないように両脇をガッチリと固めているので立ち上がれなかった。アダリンはにこやかに手を振るとそのまま大広間の外へ消えていってしまう。
 「きみたちね……」ミラが低い声を出した。「今までの探検・・だって、誰にも見つからずに運がよかっただけなんだ。君たちの仕掛ける悪戯だって、いつ私にお咎めが来るか…。いいかい、本当なら私は既に何点か減点されていてもおかしくないんだよ?」
 「そうだったとしても、『減点記念日』が早くなっただけじゃないか?」
 「フレッド!」
 「まあ、そう怒るなよ。ミラ」ジョージがまたまたニヤついた。「今回の話は、ミラも興味があると思うんだけどな」
 「私にも?」
 ミラは今日一番の怪訝な表情を見せた。毎日を平穏に過ごしたいミラと、とにかくおもしろおかしく過ごしたい双子の考えは正反対だ。双子と私が同時に興味津々になる話なんか、存在するわけがない。いいや、あってなるものか。
 ミラの考えが透けて読み取れたのか、ジョージはフレッドを肘でつついてミラへと促した。
 「ついに見つけたんだ」フレッドがミラへと顔を近づけて囁く。「城の外への抜け道を!」

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