ウィーズリーの実験室

 もうすぐハロウィーン。ホグワーツ城の周りは色鮮やかな紅葉で囲まれつつあった。まるで絵の具を塗ったように色づく山々は、学校生活に不満だらけのミラの目にさえ見事に映っている。
 「ねえミラ、知ってる?呪いで石にされてしまった生徒の噂話」
 大広間でアダリンと早めの朝食をとっていたミラは、隣に座っていたアダリンの唐突な言葉に思わず口の中のオートミールを全て吹き出してしまいそうになった。
 「さあ。私、なんにも知らないな」
 ミラは必死になって食事を飲み込んだあとに、咳ばらいをしてから素っ気なく返事をした。
 フレッドとジョージから聞いた「呪われた部屋」について、ミラはアダリンには何も教えなかった。ただでさえひどく心配性なアダリンに、これ以上余計な心配事を伝えてしまえば何かしら良くないことが起こると思ったからだ。
 「あなたは鈍感だものね」アダリンは手に食べかけのトーストを持ったままため息をついた。「噂が本当なら、私たちは細心の注意を払って生活をしなくてはならないわ」
 「ただの噂だろう?気にすることない」
 ミラはアダリンのほうを努めて見ないようにして、食べかけのオートミールを口に運ぶ。
 「仮に、仮に・・だよ。その噂が万が一・・・本当だったとしても、ダンブルドア校長が黙っていると思うかい?ダンブルドア校長がいる限りホグワーツは安全だって、君が言ったことじゃないか」
 「あなた……急にすっごくおしゃべりね」
 アダリンの怪訝そうな声にミラは今度こそオートミールを吹き出してしまった。長テーブルとミラのローブがあっという間に真っ白になる。
 「ちょっと!いやだわ、ミラったら!」アダリンが顔を真っ赤にしてミラの腕を叩くと素早く杖を取り出した。「テルジオ! 拭え!
 アダリンの呪文に、ローブとテーブルの汚れはたちまち綺麗に拭われていく。ミラは申し訳なさそうに頭を掻いた。
 「アー、すまない。それ、きみの得意技だよね……」
 「あわてんぼうの誰かさん・・・・のおかげでね」
 ミラは何も言えずに口をつぐんだ。アダリンは肩をすくめると、トーストのほうに顔を戻す。なんとかごまかせたようだ。ちょうどその時、キーキーとした声が大広間に入り込んできた。
 ふくろう郵便の時間だ。この時間になると何百羽というふくろうが大広間になだれ込んでくる。ふくろうはテーブルの上を旋回し、飼い主を見つけると手紙や小包をその膝に落としていくのだ。
 ミラのもとにも茶色いふくろうが現れて、一通の手紙を落としていった。いったい誰からの手紙だろう?母親の飼っているふくろうではない、見たことない子だ──ミラはふくろうを飼っていないので、だいたいは母親のふくろうか学校で飼われているふくろうがやってきていた。
 ミラは膝の上に乗った羊皮紙の茶封筒を手に取ってみた。表には何も書かれていない。裏もまっさらだった。ミラは慎重な手つきで中から手紙を取り出し、読んだ。





 「まったく、なんなんだいこれは……」
 ミラは目を皿にして手紙の内容を何往復かした。しかし何度読んでも怪しさ満点の手紙だ。グリフィンドールのテーブルを見ると、差出人たちと目があう。二人は可愛らしくミラにウィンクした。
 「誰からの手紙だったの?」アダリンが首をかしげて尋ねた。
 「わ、わからない。宛先間違いかも」
 ミラはアダリンには見えないように慌ただしく手紙を小さく折りたたむと、自分のレッグバッグへと乱暴に押し込んだ。
 その日の最後の授業は呪文学で、ミラたちは「浮遊呪文」を教わった。これがとても難しい呪文だったようで、クラスで成功したのはミラ、アダリン、セドリック・ディゴリーの三人のみだった。フィリウス・フリットウィック教授はミラたちをこれでもかというくらいに褒め称え、ハッフルパフは五点の加点をもらった。しかし、ウィーズリーの双子の手紙が気がかりだったミラはそれに喜ぶ余裕はなかった。
 授業の終わり、アダリンはセドリックと箒の練習をするといってミラに別れを告げてすぐに去っていったのはミラにとって好都合だった。アダリンを見送ったミラはレッグバッグから小さくなった手紙を取り出し、内容をもう一度確認する。六階の使われていないトイレだって?いったい双子は私に何を用意しているのだろう。ミラはひとり、早歩きで六階へと向かった。
 フレッドとジョージのいう六階のトイレはすぐに見つかった。生徒の出入りも少ない物静かな六階にたどり着いたとき、すぐに爆発音が聞こえてきたからだ。ミラは嫌な予感を抱えながら「故障中」と大きく書かれた掲示を一瞥すると、トイレの入口の戸をそろそろと開いた。
 「ミラ!」
 ミラの姿を見つけたフレッドが嬉しそうに出迎えてミラをいやという程に抱きしめる。
 「苦しいって!フレッド!」ミラはフレッドの胸元から蛙のような声を出した。
 「ようこそいらっしゃいました」
 フレッドはうやうやしくお辞儀をするとトイレの中を案内してくれた。ずいぶんとじめじめしていて湿っぽい。薄暗くて憂鬱なトイレだ。ずらりと並んだ石造りの手洗い台はところどころ縁が欠けている。その上に、パチパチと音を立てている筒状の何か、それに青色の煙を吐いている大鍋など、ミラにはよくわからないものがいっぱい置かれていた。
 「なんだい、これって……」
 ミラはそう言うと目を細めて部屋をまだまだ見回そうとした。
 「ミラ!ミラだ!」
 今度がジョージがミラに一目散に駆け寄ってきて、やはりこれでもかという力で抱きしめた。あっという間にジョージの体の中にもぐりこんだミラは息ができなくなる。ミラは急いでジョージの体を叩いて押しのけた。
 「もう!」ミラがガミガミとした声で言った。「君たちは揃いも揃って加減というものを知らないな!私をぺしゃんこにするつもりかい⁉」
 双子はいつものニヤリ顔をしてミラを見た。ミラがここまで来たことがそんなに嬉しいのか、興奮している様子でずっとそわそわしている。そこへ、ひとりのグリフィンドール生が近寄ってきた。
 「やあ、ミラ!ミラ・トウドウだよな?俺はリー・ジョーダン。こいつらから話はよーく聞いてるぜ。『悪友』さん」
 リーはミラの前にパッと素早く手を出した。見るからに陽気そうな男の子だ。
 「ああ、君のことは私もよーく知っているぞ。リー」ミラは片眉を吊り上げた。「なぜなら君は合同授業のときに誰よりも『悪友』と騒がしいからね」
 ミラの言葉にリーはニヤニヤと笑った。悪戯好き特有の──双子とよく似た──あの笑顔だ。なるほど、双子の仲間だな。ミラはそう思うと息を吐きながら笑い、リーと握手を交わした。
 「ねえ、ウィーズリー。私も彼女に挨拶してもいい?」
 今度はレイブンクローの生徒が話しかけてきた。赤毛で、肌の白い年上の女子生徒だ。
 「チューリップ・カラスよ」カラスさんがミラへ手を差し出した。「レイブンクローの六年。双子から聞いてる。貴女ってすごい悪戯好きなんでしょう?──実は私もなのよ」
 「はじめまして、カラスさん」ミラはカラスさんの握手に応えて愛想笑いをした。「二人から何を聞いているかわかりませんが、誤解です。悪戯はまるっきり・・・・・で」
 ──ほかの生徒にどういう話をしているんだ、まったく。ミラはカラスさんとの会話を終えるとすぐに双子を睨んだ。ミラのお決まりの表情にウィーズリーの双子たちはすごく嬉しそうだ。
 「それで?きみたちは使われていないトイレで何をしようとしているんだい?」
 まだ少し怒りを顔に残したままのミラが本題に戻す。どうせ、ハロウィンを前に何かよからぬことの準備をしているのだろう。ミラは予想した。――絶対に巻き込まれてやるもんか。しかし、フレッドとジョージの答えは違った。
 「ここは、僕たちの秘密の実験室さ」フレッドが言う。
 「おかげさまで材料がずいぶんと集まったんでね」
 ジョージがトイレの小部屋の戸まで歩いていくと、顎でしゃくった。一つひとつ区切られた小部屋の木の扉はペンキが剥げ落ちてボロボロだ。無造作に開かれた戸をミラはそれぞれ覗き込んだ。いろんな材料が並んでいるのが見える。アッシュワインダーの卵、オオバナノコギリソウ、ペパーミント、それにコウモリの脾臓……。どれもこれも、双子とミラが城を抜け出すたびにミラのレッグバッグに詰め込まれたものだった。
 実をいえば、このころになるとミラたちは「禁じられた森」の常連客・・・となっていた。最初こそ怖がっていたミラだったが、いまではもう慣れっこだ。恐ろしいことに、それはアーガス・フィルチやハグリッドに追いかけ回されることも例外ではなかった。
 「君たちが外からなんでもかんでも持ち帰ろうとすることにつくづく疑問しかなかったが……ようやくわかったぞ」ここでミラはちょっと声を大きくした。「『悪戯グッズ』の開発をするつもりなんだな?」
 「珍しく冴えてるじゃないか、ミラ」フレッドがミラに向かって顔中をほころばせる。「ずる休みができるお菓子を作ろうと思うんだ。自由自在に鼻血が出たり、発熱したり……どうかな?」
 「それに、先生がたをイライラさせる魔法道具もね」ジョージもニヤッと笑いかけた。
 「俺たちはそいつ・・・の世話になる予定だから、招待してもらったんだ」リーがミラたちの会話に口を出す。「ミラもそうなんだろ?なんたってきみは双子の悪友だからな」
 その言葉にカラスさんがうなずいた。二人とも、まるですばらしい夢の世界に飛びこんだというような顔で浮かれている。
 「あいにく、私にはその予定がないんだが……」
 ミラは心外な気持ちを隠さない表情でリーを見つめると、次にフレッドとジョージへと視線を移した。なぜ自分が招待されたのか、ちっとも理解できない。今まで双子に悪戯を仕掛けられることはあっても、逆の立場になることは一度たりともなかったからだ(巻き込まれることは別として)。
 フレッドはそんなミラの反応も予想の内だったのか、うれしそうに言った。
 「何言ってんだよ。ミラはこっち側・・・・!」
 「こっち側って……どっち側だい?」
 「言ったじゃないか。『活きの良い実験台』が必要だって」ジョージがにやにやを浮かべる。
 なるほど、つまり私は開発チームのひとりとして招待されたわけだ……
 「そのことには巻き込むなと伝えていたはずだよ
 ミラは腹立たしげにハッキリと言い切った。双子がおんなじ顔をして笑ったちょうどその時、ひとりの女子生徒がトイレの中に入ってきた。ローブのフードを被ったグリフィンドール寮生だ。その後ろからまたもう一人女子生徒がやってくる。この人もグリフィンドールで、黒い縁のメガネをかけていた。
 「こんにちは。フレッド、ジョージ――ああ、チューリップとリーも来てたんだね」
 フードを被った女子生徒がまず双子に挨拶をすると、手洗い台で大鍋を観察していたカラスさんとリーにも声をかけた。彼女の声に首を回したカラスさんとリーはニッコリと手を振って挨拶を返す。
 「アリーシャ!」
 フレッドとジョージはフードの彼女を認識するや否や、同時に叫び、急いで駆け寄っていく。
 女子生徒の名前を呼ぶ双子の声にミラはハッと息を呑む。フレッドとジョージが言っていた魔女――「呪われた部屋」を破った――アリーシャ・スミスさんだ。胸元まで伸ばした茶髪、緑色の目はまんまるでとても優しそうな顔つきをしている。
 「招待してくれてありがとう」
 スミスさんが人のさそうな微笑みで双子を見ると、今度は隣に立っていたミラへと視線を移した。
 「黒と銀の髪に、そのゴーグル……もしかして、あなたがミラ・トウドウ?」
 「あっ……はい」ミラは、緊張したように答えて深々とお辞儀をした。「ミラ・トウドウと申します。スミスさんのお話はフレッドとジョージからかねがね……」
 「おや、ずいぶんと礼儀の正しい子だね」スミスさんはクスクスと笑って言った「アリーシャでいいよ、ミラ」
 ミラは恐れ多い気持ちになり強く首を振った。スミスさんはミラの反応が予想外だというふうに困惑した顔になる。
 「気にしなくていいよ、アリーシャ」ジョージが言った。「ミラは日本から来たんだ」
 「僕たちの思う、絵に描いたような・・・・・・・・日本人さ」フレッドが続ける。「上級生を名前で呼ぶことなんか失敬だと思ってるんだ」
 ミラの顔に少し赤みが注してきた。なんだかむずむずとした気持ちになり、スミスさんたちから慌てて視線を外す。
 「そういうことなら大丈夫だよ」スミスさんが何も気にしないふうに声を上げて笑った。「ミラ、よろしくね。実は、私も双子からあなたのことをよく聞かされているんだ」
 「あんまり変なお話でないといいのですが……」
 ミラはスミスさんに畏まった態度を出しながら、横目でフレッドとジョージをチラリと見る。二人は顔を見合わせてニヤッとした。
 「お話中に悪いけど、アリーシャ。まさか私の事、忘れてないよね?」
 スミスさんの後ろにずっと黙って立っていた黒縁メガネの女の人がため息をつきながら口を挟むと、待ちわびたといわんばかりに前に出てきた。
 「おっと、そんなことないよ。ローワン」
 スミスさんはその場を取り繕うために急いで答えたが、女の人が含み笑いを浮かべるとスミスさんは「ごめん」と謝り、気の抜けたような顔になった。
 「せっかくのお誘いだったから、今日は親友のローワンも連れてきたんだ」スミスさんが言う。
 「初めまして!私はローワン・カナ。アリーシャと同じ六年生だよ」
 カナさんはニッコリと笑った。スミスさんと同じくらいの長さの黒髪で、好奇心に満ちた真っ黒な瞳がミラたちを覗き込んでいる。少し離れたところから「ローワン!こんにちは!」とカラスさんの声がする。カナさんはカラスさんに大きく手を振った。
 「ローワン、よろしく!」
 フレッドが元気な声を出して、カナさんと握手を交わす。ジョージもそのあとに続いた。
 「ミラ・トウドウと申します。よろしくお願いいたします。アー、えーと、カナさん・・・・……」ミラは気まずそうに言うとカナさんへ手を差し出した。
 「いいよ、いいよ。カナさんで」
 カナさんはミラの手を握ると悪戯っぽく笑った。ミラは恥ずかしさで顔を赤らめると同時に、カナさんの優しい声に安堵した。
 ドカンッ! 突然、今までよりずっと大きな爆発音がトイレ中に響いた。カラスさんとリーが、パチパチと音を立てていた筒を爆発させたようで、ミラたちが音につられて視線を移したときには、二人はあっというまに煤だらけになっていた。
 「おいおい、何をしたんだ?どうしたらこうなった?」
 「よくやったぞ!今までで一番だ」
 フレッドとジョージが興味津々といった様子で手洗い台に駆けていく。ミラは煤だらけのカラスさんとリーを見て、スミスさんとカナさんと一緒になって声を出して笑った。
 呪い破りをしたというスミスさんも、彼女の親友のカナさんも、想像していたよりもずっと気さくで優しい人だった。ミラは二人を見つめながら嬉しい気持ちになる。スミスさんとカナさんはミラの視線に気づくと口元をきゅっと上げて微笑んだ。
 しかしこの時、ミラはまだ気づいていなかった。自分の運命がようやく動き出したということに。この出会いをきっかけに、ミラの人生は今、大きく変わろうとしていた。

close
横書き 縦書き