クィディッチ・シーズン

 ハロウィーンが過ぎ、ミラたちにとって初めてのクィディッチのシーズンがやってきた。この日に、ほとんど悪夢だった厨房での罰則もようやく放免となった。晴れて自由の身となったミラは、週末に控えるハッフルパフ対レイブンクローの開幕戦が待ちきれない思いだった。
 「君ってやっぱり変わってるよ」
 朝食の席で、セドリック・ディゴリーが皿にスクランブル・エッグを盛りながらミラに向かって言った。
 ちょうど、ミラとアダリンがクィディッチの試合をより良い席で観戦するにはどうするべきかを相談し合っているときのことだった。
 「飛行術が恐ろしいほど――その、苦手なのに……どうしてクィディッチにはそんなに熱が入るんだい?」
 「何を言っているんだ、セドリック」ミラは不服そうに言った。「自分が飛び上がるのと、地に足をつけながら・・・・・・・・・飛んでいる選手を見るのとじゃ大違いじゃないか」
 諭すような気持ちで語ったミラだったが、それほど伝わらなかったようで、セドリックはミラの言うことが心底理解ができないといったふうに顔を歪めた。
 「私にとって、クィディッチは昔っから最高のスポーツだったよ」ミラは構わずに話を続けた。「マホウトコロは退屈な場所だったが、クィディッチのニュースを聞くのだけは楽しかった。うちの家はマグルの街にあったから、なかなか情報が入らなくてね」
 「ミラは確か……『トヨハシ・テング』の大ファンなのよね」アダリンが何個もの皮つきポテトをフォークで一度に刺してから口を挟んだ。
 「ああ!日本の強豪チームだね」
 セドリックがすかさず称賛するような声で言ったので、ミラはまるで自分が褒められたかのように嬉しくなり、胸を大きくそらしてみせた。
 「セドリック、彼らは最高のチームさ。間違いなく日本の誇りだよ!」
 「いいなぁ!」アダリンはゴクリと生唾を飲んだ。「早く贔屓のチームがほしいわ!ほら、私マグル生まれでしょう?『クィディッチ今昔』は何度も読んで、たくさんのチームがある事はわかっているの!けれど、どれが最高かと言われると……。それはそうようね、だって、実際にクィディッチの試合を見るのは今週末が初めてなんですもの!」
 完全に興奮状態のアダリンに、ミラとセドリックは互いに顔を見合わせて苦笑いした。アダリンが初めての飛行訓練を受けて以来、異常なほど箒に夢中なことはハッフルパフ中の生徒が知っている事だった。(まるで魔法・・にかかったようだとマグル生まれの生徒が口を滑らせたほどだ)
 ミラがアダリンを落ち着かせようと口を開きかけたが、次の瞬間、何か灰色のものが勢いよくミラの顔に飛びついてきた。ミラの視界は声をあげる間もなく完全に覆われてしまう。なにやら毛むくじゃらな生き物がミラの頭や顔中で暴れまわっているようだった。
 「あら!」
 アダリンの驚いた声が聞こえる。それと同時に、やにわにミラの視界は元に戻った。アダリンが、毛むくじゃらの生き物を引き離してくれたようだ。
 ミラは目を半眼に見開いた。ミラに飛びついた犯人が、アダリンに脇を抱えられ、目を細めながらニャーニャーと鳴いているのが見える。
 「ねこ・・!」ミラは叫んだ。「驚いた。どうしてこんなところに?」
 ロシア産の灰色猫――ミラのペットの「ねこ」はアダリンからミラの膝元へ弾かれたように飛び移った。マホウトコロの入学祝いに両親から贈ってもらったこの猫は、気まぐれな性格で、昼間は人知れずに学校中をうろついてる事がほとんどだった。
 それでもミラが驚いたのは、騒がしいところが苦手な彼女が大広間に顔を出すことなど今までで一度たりともなかったからだ。
 『ねえ、なにがあったの?』ミラはねこに向かって日本語で話しかけた。
 ねこは前足を伸ばしてミラの胸を打った。そして大広間の入口の方をミラの肩越しに見つめ、背中の毛を逆立て――何かを警戒するように――シャーッと唸った。
 「ああ、ミラ!やっぱり君の猫だったか!」
 今度はミラの耳に、ひときわ大きな声がビンビン響いてきた。不機嫌そうな生徒が一人、こっちへ向かってきている。ミラの隣に座るアダリンの頭の向こうにパーシー・ウィーズリー――ウィーズリー家の三男だ――がはっきりと見えた。
 「パーシー?どうしたんだい?」近づいてきたパーシーにミラは素っ頓狂な声をあげた。
 「どうしたんだい、だって?」パーシーは険しい顔つきになった。「君の猫のことだぞ!」
 ミラはいったい何のことかわからなかった。そう言おうと思っていると、パーシーが言葉を続けた。
 「君のところの猫が、僕のペットに乱暴したんだ!」
 「ねこがスキャバーズに?」
 ミラは腑に落ちない顔をした。鼻の膨らんだパーシーの胸元では、彼のペットのねずみ、スキャバーズが大事そうに抱えられ、ブルブルと震えている。
 「ウーン…おかしいな……」ミラは頭を掻いた。「うちの子がねずみを捕まえてきたことなんて、今まで一度もないはずだが……」
 「ずっと自由にさせているから、野生化したんだ」パーシーは噛みつくように言った。
 「放し飼いしてる生徒は他にもいるじゃない」二人のやりとりを聞いていたアダリンがパーシーに反論した。「ねこは普段から大人しい子よ。他の生き物を襲うなんて考えられないわ」
 「はっきりと見たのかい?ミラの猫が、君のねずみを襲っているところを」とセドリック。
 「見たさ!」パーシーは顔を真っ赤にして答えた。「スキャバーズを抱いて歩いていたら、急にねこが飛びついてきたんだ!僕が驚いて大声を出して、そうしたらねこが逃げ出して――」
 「それで大広間まで飛び込んできたのか」
 ミラはねこに目をやった。ねこは、その場で何度も手足を踏みしめながらあたりを見回している。
 確かに落ち着きがない。しかし、ねこがスキャバーズを狙ったとはどうしても思えなかった。
 今年の夏、ねこを連れて何度もウィーズリー家の住む「隠れ穴」に遊びに行ったが、ねこがスキャバーズを襲ったことなんかなかったはずだ。
 「なにをミラに絡んでるんだよ、パース」
 背後から窘めるような声がした。フレッドだった。弟のジョージも一緒だ。二人はおんなじ顔を揃えて大股で歩きながらハッフルパフのテーブルまでやってきた。
 「こんにちは。フレッド、ジョージ」アダリンは、話がややこしくなるぞと言いたげに肩をすくめて二人に挨拶した。
 「おっと、俺もいるぜ」
 もう一つ別の声がする。双子の陰から、彼らの本物・・の悪友、リー・ジョーダンがひょっこり現れて、アダリンに恭しくお辞儀した。
 「オ ヴァ ダィオニあらまあ――お元気そうね、リー」アダリンは目をすがめ、ウェールズ訛りを交えて皮肉っぽく言った。(ここで、セドリックが面倒なことに巻き込まれてはかなわないといわんばかりにそそくさと席を立った)
 「で、ミラがなにかしたの?」
 ジョージが話を戻すとパーシーの鼻は再び膨らんだ。
 「ミラの猫が、僕のペットを襲ったんだ」
 「ねこがか?」フレッドは驚きと疑いの入り混じった目をパーシーに向けた。「あんな臆病なやつが、君のねずみをやっつけようとするかな」
 フレッドに同意をするようにジョージが頷いた。双子は顔を見合わせると、まるっきり疑いの表情を広げながら視線をゆっくりとパーシーへ移動させた。それに気づいたパーシーは今度は体そのものを膨れ上がらせて双子を睨んだ。
 「いや!パーシーの言う通りなんだ」事態を見たミラがすぐさま言った。「確かに今日のねこは様子が変だ。すまない、パーシー」
 ミラはねこの頭をひと撫でしたが、相変わらず落ち着きのない態度だった。
 「この子にはよく言い聞かせておくよ」
 ミラがあっさり謝ったことはパーシーにとって意外だったようだ。
 怒りのやり場や議論の余地をすっかり失ってしまったパーシーは膨らんだ体から空気が抜けていくように肩を落とし、「頼むよ」とかなんとかぶつぶつ言いながらスキャバーズを抱えて大広間から足早に消えていってしまった。
 「珍しいこともあるもんなんだな」フレッドがとぼとぼ歩くパーシーの背中を見ながら伸びをした。
 「なにかあったのかも……」ミラが呟いた。
 「機嫌が悪かったんだろ?動物だし、そういうときもあるさ」
 けろりとしてそう言ったリーに、ミラはウームと唸った。しかしミラの心配とは反対に、ねこはいつの間にか落ち着きを取り戻したようで、飼い主にゴロゴロ甘え声を出したかと思うと、パーシーに続いてさっさとホールを出ていってしまった。
 リーの言う通り、本当にただの気まぐれだったのだろうか?
 ここで一瞬の沈黙があったが、アダリンがすぐにグリフィンドールの三人へ話しかけた。
「ところで、あなたたちはなんの用があったの?」
 その問いかけにフレッド、ジョージ、リーは揃いもそろってまったく忘れていたという顔をした。それから三人は、おもむろにミラとアダリンを挟んで席に座り、テーブルに身を乗り出して二人の顔を覗き込んだ。
 「君らのことだから、週末のクィディッチの試合について話してるだろうと思ってさ」ジョージはうきうきと楽しそうだ。「行くよな?」
 「言うまでもないね」ミラが答えた。
 「ああ、聞くまでもない」
 そう言ったフレッドはニヤリとした。それはまるで、ミラがなんと返事するかすでに知っていたかのような素早い切り返し方だった。ミラは眉をちょっとあげてから、フレッドに向かってニヤッと笑い返した。
 「僕たちも行くつもりなんだ」リーが割って入った。
 「あなたたちも?」アダリンが驚いた様子で言った。「ハッフルパフとレイブンクローの試合なのに」
 「敵情視察ってやつだ」ジョージが腕を組んだ。「来年にゃあ、僕たちもピッチを飛び回ってるんだからさ」
 「それじゃあ、あなたたち選手になるつもりなのね?」
 そういえばそんなことも言っていたか。ミラは、フレッドとジョージが「クィディッチの選手になれないのならホグワーツに入学する意味がない」と入学前から散々話していたことを思い出した。
 「おや」フレッドが言った。「アダリン選手・・もそのつもりだと思ってたんだけど、違ったかい?」
 フレッドの期待を込めた言い方に、アダリンは頬をほんのり紅らめ、同時に前髪を撫でつけた。
 「ええと、そんなのわからないわ。だってそうでしょう?私、今度の試合が人生で初めてのクィディッチなのよ……」
 「それじゃあ、ハッフルパフの選手たちは責任重大だ」ミラは意味ありげに笑った。「将来キャプテンになりうる人材を、果たして魅了できるかどうか……」
 「ミラったら! 私はただの――ただの箒に乗るのが好きな魔女だわ……。いいえ、そもそも魔女になったのだってつい最近のことで……」
 そうぶつぶつ唱えるアダリンの横で、彼女以外のみんなは週末の楽しみが増えたというふうにランランとした目をした。
 アダリンはさっきよりももっと深々と真っ赤になった。長い前髪の隙間から見えるブルーの瞳が、まんざらでもなさそうにキラキラと輝いている。
 ふとジョージが「ブラッジャーとジャガイモを見間違えたりして」とこぼしたので、ミラは一瞬噴き出しそうになった。

 土曜日が来た。ミラとアダリンはできるだけいい席でクィディッチを観戦するために、試合の一時間も前から競技場へ向かっていた。よく晴れた少し風のある日で、初冬のひんやりとした空気は眩しい陽光を含ませて澄み渡っていた。
 「ああ、どうしましょう。ドキドキするわ」
 アダリンは逸る気持ちを顔中に広げて、ミラの少し先を足早に歩いている。
 校庭を通り抜けると、まだ人気のないクィディッチ競技場が見えてきた。近くで見るのは初めてだ――何百とある観客席がグラウンドの周りに高々とせり上がっていて、どの席でも思う存分に観戦できるようになっているようだった。
 ミラとアダリンはグラウンドの外から階段を上がってスタンドの一番前列を陣取った。
 「不思議な感じ……」アダリンはグランドをぼーっと眺めていた。
 「なにがだい?」
 「休憩時間によく飛んでいたところではあるけれど……」アダリンは続けた。「ここから見る景色はそれとはまるで違うわ。なにからなにまで」
 びっくりするやら、感動するやら、上ずった声で話すアダリンの目は涙で潤んでいた。彼女の視線は、金色に輝き堂々とそびえるクィディッチのゴールに向いている。
 「私、本当に魔女になったんだわ……」
 万感の思いでいっぱいなアダリンの横顔を見て、今度はミラが不思議な気持ちになった。自分が魔女であることが疎ましいと思うのは何度もあったが、涙がこぼれるほど感激したことは一度だってなかった。「私もマグル生まれだったら何か違ったのだろうか」鼻先を赤くするアダリンを見ながら、ミラは心の中でそう言っている自分に気付いた。「アダリンが少し羨ましい」
 「ミラ?どうしたの?」
 アダリンが心配そうな表情で話しかけてきたので、ミラはポカンと開けていた口を慌てて閉じて首を横に振り、彼女と同じように空高く伸びるゴールの輪っかを見つめた。
 「さて」ミラは仕切りなおした。「試合が終わる頃、君はただの魔女・・・・・でいられるかな?」
 「自分がどうなってしまうのか、じっくり楽しむつもりよ」アダリンが微笑んだ。
 それからしばらくの時間、ミラはアダリンに日本のクィディッチについて熱弁した。アダリンはミラの言葉ひとつひとつをまるで頭の中の羊皮紙に書き記すようにゆっくりと頷きながら聞いてくれた。
 十時半になると、観客席には他の生徒がちらほら集まってきていた。ホグワーツの教授たちも一緒だ。レイブンクローの寮監であるフリットウィック教授が、着席している生徒たちの脚を掻き分けながら入ってくるところが見える。ひどく興奮した様子のスプラウト教授がすぐ後ろに続いていて、ときどき、つま先がフリットウィック教授の背中につっかえているようだった。
 ほとんどの観客はやはりハッフルパフ生とレイブンクロー生だったが、それ以外の寮生も少しはいるようだ――ぽつぽつと流れてくる赤と黄色のマフラーを巻いた生徒たちの中に、双子のウィーズリーとリーが歩いているのを見つけた。ミラが彼らの名前を呼んで手を振ると、気づいた三人が小走りになってやってきた。
 「これはこれは、ハッフルパフの天使と悪魔様。お早いご到着で」リーがニヤーッと歯を見せて笑った。
 「なあに、それ?」
 アダリンが怪訝そうに言った。双子とリーは目と目を合わせて抑えきれないようなクスクス笑いをした。
 「私の役目が天使・・でないことだけは伝わったよ」ミラは鼻息を荒くした。「これ以上おかしなあだ名をつけたら承知しないぞ」
 「冗談だよ、ミラ」フレッドが言った。「ところでその帽子は……またマグルのやつかい?」
 フレッドはミラが頭に被っていた帽子を指さした。フレッドのこの指摘は、ミラにとって願ってもないことだった。ミラはよくぞ聞いてくれた、と満足げに鼻を鳴らして声を大にして言葉を続けた。
 「そうだよ。これは『飛行帽子』といって、マグルのものなんだ」ミラは饒舌になった。「マグルには箒の代わりに『飛行機』という空を飛ぶ乗り物があるんだが――フレッドとジョージには話したことあるね?――飛行機を操縦するときや点検するときに被るんだ。防寒と防風、それに頭を保護するためさ。つまり、この季節にクィディッチを観戦するにはぴったりなんだ!ほら見て、耳のところにはポケットがあって、ここをめくると小さな穴がたくさんあるんだ……」
 「フレッド」ジョージがうんざりした口調で言った。「いい加減覚えろよ。ミラの持ち物について、すぐに話が終わったことがあったか?」
 フレッドが大げさに両手で頭を抱え、ジョージに苦笑いをしたとき、どこかで時計の鐘が鳴った。午前十一時だ。次の瞬間、競技場にどよめきが上がり、ビュンビュンと風を切る音が聞こえてきた――ついに選手たちの入場だ!
 ハッフルパフはカナリア・イエロー、レイブンクローはブルー、それぞれのユニフォームを身にまとい、代表選手たちはピッチで入場パフォーマンスを観客に見せつけた。観客の頭上をすれすれで飛んだり、宙返りをしてみせたり。ミラたちはさっきまで自分たちが話していたことなどすっかり忘れて、観客席の柵に身を乗り出して大歓声をあげた。
 マダム・フーチが審判だ。競技場の真ん中に立ち、箒を手に両チームを待っていた。
 「さあ、皆さん、正々堂々戦いましょう」
 全選手が周りに集まるのを待って教授が言った。
 「よーい、箒に乗って」
 十五人の選手たちが自分の箒にまたがった。そして、フーチ審判の銀の笛が高らかに鳴った。
 ハッフルパフとレイブンクローの選手たちが高く空へ舞い上がる。ミラたちのいる観客席よりも高く。試合開始だ。  

close
横書き 縦書き