白いローブの魔法使い

 セドリックが骨折したというニュースが飛び込んできたのは、その日の午後の授業が始まるころのことだった。どうやらクィディッチの練習中に箒から落ちてしまったらしい。
 血相を変えて「魔法史」の教室にドタバタと入ってきたアダリンは、ハッフルパフの生徒たちに向かってまさに悲劇だと言わんばかりにそのことを話した。
 「心配だな……」授業中、ミラがぽつりと言った。
 「彼は今、医務室で休んでいるわ」アダリンはいかにも心配そうな声を出した。「私、授業が終わったらお見舞いにいくつもりよ。ミラもどう?」
 「もちろん行くさ」ミラは答えた。「セドリック選手は将来有望だからね。きちんと最大級の手当てが施されているのか、この目で確認する必要がある」

 終業のベルが鳴り、ミラとアダリンは急いで荷物をまとめて教室を出た。
 アダリンが言うには、医務室のある病棟は教員塔を抜けた先にあるらしい。ミラはまだ(幸いなことに)ホグワーツの医務室に行ったことがなかった。
 「マダム・ポンフリーが面会を許してくれるといいんだけれど……」アダリンは廊下を大股で歩きながら言った。
 「そんなに厳しい人なのかい?その、マダム・ポンフリーさんは」
 「貴方――ホグワーツにいて、彼女の噂を聞いたことがないの?ちっとも?」
 「そうだね……いつの日だったか、誰かが彼女についてなにかを話していた気はするが……」ミラは苦々しい作り笑いを浮かべた。
 「さすがは『無関心の魔女様』ね」
 ミラたちは中央ホールを離れ、冷たく身を切るような風に髪を逆立てられながら玄関ホールまで戻ってきた。そして大階段を上がり、ちょうど教員塔にたどり着いたとき、誰かがミラを呼び止めた。
 「やあ、ミラ」
 燃えるような赤毛に、人のよさそうな大振りの顔。それが誰なのか、ミラにはすぐにわかった。ウィーズリー家の次男、チャーリー・ウィーズリーだ。
 「チャーリー!」
 ミラは喜びと驚きが交じったような声をあげた。ミラとチャーリーは、それこそ「隠れ穴」で東洋と西洋のドラゴンの違いについて語り合った仲ではあったが、ホグワーツで彼と話すのはこれが初めてだった。ミラはなんだか気恥ずかしく思いながら、チャーリーに小さく手を振った。
 「むしろお互いローブを着ているほうが不思議って顔してるね。そうだろう?」チャーリーはクスクス笑った。
 「ご名答だよ、チャーリー」ミラは答えた。「それで、私になにか用かい?」
 「ああ、そうだ」チャーリーの笑顔がふと陰った。「ちょっと聞きたいことがあったんだ」
 「聞きたいこと?」ミラは心当たりがなさそうな顔をした。
 「弟たちのことさ」チャーリーは周りの生徒に聞こえないように声を小さくして言った。「フレッドとジョージが最近変なんだ」
 「いつも変だろう、あの二人は」
 ミラは何も考えずにそう漏らしたあと、まずいことを言ったと慌てて手で口をパチンと押さえた。
 「アー――うん、いろいろと同情するよ。彼らの兄としても、君の友人の一人としてもね……」
 チャーリーは口元をヒクつかせながら言った。ミラはチャーリーが家族のことを言われても気を悪くしていないようだったので、少し安心してチャーリーの話の続きを待った。
 「でも、そうだ。君の言う通りだ、ミラ」チャーリーは続けた。「あいつらはいつも変だろう?主になにかを爆発させたり、人をからかってみたり。それが普通なんだ、ウン。つまり、フレッドとジョージにとっての普通じゃない、変だというのは――」
 「おとなしすぎるってことかい?」ミラはチャーリーの代わりに答えた。
 「そうなんだよ!」チャーリーは大きな声を出したあと、ハッとすぐにまた息を潜めた。「最近、授業以外はずっと寝室にこもりきりで談話室にもほとんど顔を出さないんだ。真夜中でさえだよ。これっておかしいだろう?」
 チャーリーの「真夜中でさえ」という言葉にミラは一瞬噴き出しそうになったが(だって、ほとんどの生徒はそのように過ごしているはずだろう?)、深刻そうな顔を取り繕いチャーリーを見つめた。
 「部屋でなにか悪だくみをしているとか?」ミラは言った。
 「そういうときはだいたいわかりやすかったんだ」チャーリーはがっくりした。「何かを爆発させたり、生き物の鳴き声がしたり……。でも、今はずっと静かなんだ。不気味なくらいにね」
 チャーリーの表情は真剣だ。弟たちが本当に心配なのだろう。力になりたかったが、ミラも最近はフレッドとジョージにほとんど会っていなかったし、「カナの輪」の一件があってから、ミラ自身、双子と顔を合わせるのは少し気まずかった。
 チャーリーはミラの複雑そうな表情に気づいたのか――チャーリーも「カナの輪」のメンバーだったので、ミラになにが起こったのかもきっと知っているのだろう――すぐに優しい顔になり、ミラに肩に手を置いた。
 「何も知らないならいいんだ」チャーリーは言った。「でも、あいつらを見かけたらちょっとだけ気にかけてやってくれるかい?」
 「ああ、わかったよ。チャーリー」ミラは頷いた。
 「ねえ、ミラ……」
 ここで口を挟んだのはアダリンだった。――しまった、ミラは思った。チャーリーとのおしゃべりに夢中で彼女のことをすっかりと忘れてしまっていたのだ。
 「ああ!アダリン、すまない」
 ミラは咄嗟に謝ったが、アダリンの様子が少しおかしかった。いつもなら「私を忘れるなんて」とプンプンにむくれて文句のひとつでも言ってくるはずなのに、今日は妙におとなしい。
 アダリンは手をもじもじさせながらミラとチャーリーを交互に見つめていた。
 「あの、私も彼とお話してもいいかしら……?」アダリンは消え入るような声で言った。
 「え?――あ、ああ。もちろんだよ」ミラは状況が消化できないまま答えると、チャーリーのほうに向き直った。「チャーリー、彼女はアダリン・ロイドといって私と同じハッフルパフの同級生なんだ」
 次にミラはアダリンの方へ顔を向けた。
 「アダリン、彼はチャーリー。チャーリー・ウィーズリーだ。フレッドとジョージのお兄さんで――」
 「わ、わ、わ、私知ってるわ!ええ、もちろん知っていますとも!
 突然、アダリンはミラの言葉を遮るようにして金切り声をあげたので、ミラとチャーリーはギョッとして後退りした。
 「ミスター・ウィーズリー……い、いえ、できたらチャーリーと呼んでもいいかしら?」何か感情を押し殺して震えているような、緊張した声でアダリンが言った。
 「あ、ああ。もちろんさ。それでアダリン、君は僕のことを知ってるって?」
 「チャーリーが私の名前を呼んだわ!
 アダリンがまた叫んだ。そしてそれをきっかけにアダリンは堰を切ったように語りだした。
 「私……私、あなたのファンなの。チャーリー、貴方は最高のシーカーよ。去年のレイブンクローとの試合なんか、見ていて痛快だった!スニッチに向かって猛スピードに急降下する貴方にずっと釘付けだったわ!他の試合でも、相手の選手を出し抜く姿に何度感動させられたか!ミラが貴方と仲が良かったのは前から知っていたの。ええ、そうよね。だって、ミラと私は親友なんですもの。だから、どうにかしてお話できないかとずっと考えていたのよ。今日みたいな日をずっと夢に見ていたの。お話できて本当に嬉しいわ!私ね、貴方のようなシーカーになりたいの!
 チャーリーはアダリンの勢いに圧倒されてしまったようで、いったい何から話せばよいのやらといった様子だった。しかし、アダリンの顔を一度まじまじと見つめると、チャーリーは何かに気がついたようにアダリンへ話しかけた。
 「君、もしかしていつも昼休みの時間いっぱいまで箒を乗り回してる子?クィディッチの競技場で」
 すでに真っ赤なアダリンの顔が、もっと赤くなった。アダリンは目を大きく見開き、チャーリーに向かって滑稽な首振り人形のように何度も激しく頷いた。
 「やっぱりそうだ。そのブロンド頭を見て思い出したよ」チャーリーはにこやかな顔をして言った。「いつも見かけてたんだ。熱心な一年生だなと思ってね」
 「マーリンの髭!
 アダリンは気絶するかのように見えた。ふらふらっと体を揺らしてミラにもたれかかり、目をしばたかせた。ミラは一瞬、アダリンが感激のあまり死んでしまうのではないかと心配したが、アダリンは「一度言ってみたかったの」と小さく呟いてみせたのでミラはニヤッとした。
 チャーリーはさすがに照れくさくなってしまったようで、頭を搔いて笑っていた。
 「ハッフルパフの一年生は熱心な子ばかりですごいと思うよ。アダリンと、それともう一人の男の子もそうだ。名前は知ってるぞ。確か……」
 チャーリーの言葉に、身を寄せ合っていたミラとアダリンは思わず顔を見合わせ、同時に「セドリック!」と叫んだ。
 「そうだ。私たち、セドリックのお見舞いに行くところだったんだ」ミラは焦り焦りしながら言った。
 「お見舞いだって?セドリックになにかあったのかい?」チャーリーが聞いた。
 「骨折をしてしまったの。箒から落ちてしまって……」アダリンが目を伏せた。
 「なんてことだ!そうだったのかい」チャーリーは驚いたあとに、心配そうな表情をした。「そんなときに呼び止めてしまって悪かったね。すぐにでも医務室に行ってあげて」
 チャーリーはそう言うと、ミラとアダリンにさようならと手を振りながら、大階段を降りていった。
 アダリンはチャーリーの後姿うしろすがたをうっとりと眺めながら、ミラの腕に絡みついた。
 「私、今日死んでもいいわ」
 「やれやれ」ミラは苦笑いを返した。「今からお見舞いに行く人間とは思えない発言だね」

 医務室の様子はミラが想像していた場面とは違っていた。丈長たけながのカーテンに囲われたベッドが四つもあったが、不思議なことに人気ひとけは感じない。そして噂のマダム・ポンフリーの姿はどこにも見当たらず、代わりに一人の生徒が薬棚をかき回している。少し異様な光景だった。
 アダリンが最初にセドリックが横たわっているベッドを見つけ、駆け寄って行った。ミラもすぐ後に続こうとしたが、ためらった。セドリックの脇には先客がいたのだ。アリーシャ・スミスだった。
 「セドリック!」
 アダリンが声をかけると、セドリックがミラたちに気づいた。ここで、ミラもとぼとぼとベッドに向かって歩いていった。
 「アダリン、それにミラも。お見舞いに来てくれたのかい?」セドリックは少し恥ずかしそうに言った。
 「そうよ。当たり前じゃない」アダリンは泣きそうな声で言った。「私、クッション呪文を覚えていればよかったと、あの時ほど思ったことはないわ」
 「気にしないで」セドリックは言った。「少しばかり箒が下手だっただけさ」
 アダリンはそれからセドリックに怪我の具合を聞いて、次に授業のことや宿題のことについていっぺんに話しはじめた。
 「ミラ、久しぶりだね」
 熱っぽくおしゃべりをするアダリンをよそに、スミスさんがミラに話しかけてきた。しかし、ミラは彼女と目を合わせられなかった。スミスさんと会うのは「カナの輪」の誘いを断って以来だったからだ。
 「ねえミラ、あの時のことなら何も気にしないで。貴方の気持ちは間違っていないんだから」スミスさんはミラの手を握り、優しい声で言った。
 「ごめんなさい」ミラは言った。「ホグワーツの教師がカナさんを殺したという話を聞いて、私にできることなんかこれっぽちもないと思ってしまったんです」
 「そうだね……」スミスさんは低い声で言った。「ローワンを殺した先生――レークピックは闇の魔法使いだ。彼女と対峙しようだなんて、怖くて当然の話だよ」
 「レークピックだけじゃない。アリーシャ、白いローブの魔法使いの行方は掴めたのかい?」アダリンの肩越しにセドリックが言った。
 「白いローブの魔法使いだって?」ミラは怪訝そうな顔をした。
 「うん……アズカバンの収容を逃れたやつなんだ。ダンブルドア校長からそう聞かなかった?」スミスさんは眉をちょっと動かしながら言った。
 「確かに……、前に確かそんなことを言っていたような……」
 「間違いなく言っていたわ」アダリンがはっきり言い切った。「だから城を抜け出すことも禁止だということもね――まあ、貴方にとっては関係ないことだったかもしれないけれど――そうよ、アズカバンから逃れた囚人がうろついているかもしれないからという話は聞いたし、そのあとにもうホグワーツを離れたことも言っていたわ」
 「次からは校長の話もきちんと聞くようにするよ」
 ミラがバツの悪そうにそう言うと、スミスさんは深刻そうな顔で話し始めた。
 「ミラ、『呪われた部屋』のことは知っているね?黒い湖畔に『呪われた部屋』を探しに行ったとき、突然知らない魔法使いに襲われたことがあったんだ。それが白いローブの魔法使いだった」
 「しかも、聞きなれない呪文を唱えていたんだって?」とセドリック。
 「ああ、そうだ」スミスさんは頷いた。「あの時は兄さんが助けてくれたからよかったけど、次はどうなるか――」
 「待ってください」ミラは重々しい声を出した。「聞きなれない呪文って?例えば?」
 「えっと、どこまで言っていいものなんだろうか……『カナの輪』は秘密組織だから、その……」
 スミスさんは全てを教えることをためらっていたようだった。しかし、ミラにはもうなにかしらの予想はつきはじめていた。それはミラが一番考えたくなかったことだった。
 「白いローブに、聞きなれない呪文……」ミラは唸った。「まさかマホウトコロの……」
 スミスさんが、明らかに面食らったような顔になった。セドリックはむさぼるような目になったミラを見たあと、「全部話してやれ」と言わんばかりに肩をちょっとすくめた。アダリンも間違いなく話の続きを待っていた。しばらく沈黙が流れ、医務室には生徒がカチャカチャと薬瓶くすりびんを触る音だけになった。これにはスミスさんも観念せざるをえなかったようだ。
 「ミラ、その通りだよ。彼はマホウトコロ出身の、日本の魔法使いだ。なんでわかったの?」スミスさんは言った。
 「マホウトコロのローブは闇の魔術を使うと白くなる。その色は生涯変わることがないと、先生にずっと教えられてきましたから」ミラは震える声で答えた。
 「ミラは九歳までマホウトコロにいたんです」アダリンが言った。
 「そうか」スミスさんは合点がいったような顔なりながらも言いよどんだ。「でももうここにはいないから、大丈夫だよ」
 そんなことを今更言われても、納得できるわけがなかった。ミラはスミスさんが諭すのを無視して、決定的なことを聞いた。
 「その日本人は、『R』の仲間なんですか?」
 スミスさんはまた面食らったような顔をした。答えるべきかまだ迷っていたようだったが、やがて覚悟を固めたように見えた。
 「……そうだ。彼の名前はカズヒロ・シラトリ――ローワンを殺した、『R』の一員だ」
 ミラはそれを聞いて足下の地面がガラガラと急激に崩れていくような気がした。何かしゃべりたくても、すぐに返事ができなかった。この一連の出来事に日本人が関わっていることは信じがたい話だった。
 それから自分の部屋に戻るまでのことはほとんど覚えていない。アダリンが心配そうに一言二言、なにかを言っていたような気がするが、呆然としたミラの頭に入ってくることはなかった。
 日本の闇の魔法使いが、イギリスに――それに、ローワン・カナを殺したグループの一味だって?そんなこと、許せるわけがない。ミラはその夜眠れなかった。マホウトコロから闇の魔法使いが輩出されていたことにこんなにショックを受けるだなんて、自分でもびっくりだった。マホウトコロのことなんて、これっぽっちも誇らしいと思ったことはなかったはずなのに。それでも、まるで日本の全てのことが貶められたような気がして、ミラは悔しくて悔しくてたまらなかった。
 それから数日後、ミラは誰もいない早朝の校庭からこっそりスミスさんへふくろう便を飛ばした。「カナの輪」に入りたいと申し入れるために。これは、アダリンにさえ相談せずに決めたことだった。                        
   

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