忍びの地図

 「いったい、どういうことなの!
 昼過ぎ、湿った冷たい空気が漂う廊下に、ピリピリとしたアダリンの怒鳴り声が響き渡った。
 ミラはバツの悪い思いをしながら、ぷいとアダリンから顔を背けて廊下のむこうに向かって歩き出した。すぐあとからドスドスという乱暴な足音がついてくる。アダリンの燃えるような視線がミラの背中をチクチクと刺しているような気がしたが、ミラは振り返らなかった。アダリンがここまで激昂する理由に心当たりがあったからだ。
 「ミラ・トウドウ、何も言わないつもり?」
 しばらく無言の追いかけっこが続いたが、アダリンはやがてミラに追いついて、俯いているミラの顔を覗き込みながら言った。眉根にしわを寄せ、怒りの眼差しをミラに投げつけていた。ここでようやくミラは立ち止まった。
 「今朝セドリックから聞いたわ。『カナの輪』に入ったって、どういうことなの⁉」
 ミラはまだ下を向いたまま黙りこくっていた。
 心配性のアダリンがこのことについて知ったとき、誰よりも怒ることはわかりきっていたことじゃないか――そう自分に言い聞かせながら、ミラはどうしたらよいか考えた。
 当然、アダリンに隠し通せることだとは最初から思っていない。彼女には洗いざらい話して、きちんと納得してもらうつもりだった。しかし、ミラがどれだけ頭をひねっても、アダリンが首を縦に振りそうな言い訳は思いつかなかったのだ。
 『急に英語がわからなくなったとは言わせないよ、藤堂ミラ。今すぐに全部説明して』
 アダリンは苛ついた様子を隠さずに、今度ははっきりとした「日本語」でミラに言い放った。
 不意に耳に入ってきた日本語に、ミラの眉がぴくりと動いた。それからほとんど弾かれたように顔を振り上げると、青い両眼と目が合った。
 アダリンは相変わらず不信感をあらわに目をすがめていたが、ミラの顔をまっすぐに見たとたん、次第に不安で泣きそうだといいたげな顔になっていった。
 ミラは小さく唸った。目の前に立っている親友の顔を見つめ、やりきれない思いに駆られた。ここまでくると、ミラもついに観念せざるをえなかった。
 『セドリックから聞いた通りだよ。カナの輪に入ったの』アダリンから目をそらしたミラは、できるかぎり淡々と聞こえるように切り返した。
 『あなた、自分が言ったこと忘れたわけじゃないよね?』アダリンが歯噛みした。『できることはなにもないって言っていたじゃない』
 『もちろん覚えてる』ミラは言った。『でもそれとは別の問題になった』
 ミラはまた歩き出した。ミラの返事が気に食わなかったのか、アダリンは慌ててミラの後を追いながらまた声を荒げた。
 「別の問題って」アダリンは話す言葉を英語に戻して言った。「つまりあの日本人の魔法使いのことでしょう⁉もうホグワーツにはいないのよ。それなのに――」
 「アダリン」ミラは低い声を出した。「私は故郷に泥を塗るような魔法使いは許せない。ここでただ皆の無事を祈って、指をくわえて待ってるだけじゃすまなくなったんだ」
 その言葉に唖然とするアダリンに、ミラはおかまいなしに続けた。
 「そいつをやっつけるためなら、私は喜んで杖を振るうよ」
 「メシ クレテ ペス!信じられない」アダリンはポカンと口を開けてから言った。
 完全に興奮状態になったアダリンは、それから我慢していたものを吐き出すように早口のウェールズ語で一気にまくしたてはじめた。
 なにを言っているのかミラにはさっぱりだったが、アダリンは伝わらずとも構わないといわんばかりに前のめりだ。ミラはだんだん目がチカチカとしてきて、口を挟むのを諦めると、一瞬、体中から息が抜けていくような気がした。その時だった。
 「おっと、なにかと思えば!ジャガイモの国のお姫様がご乱心のようだぞ、ジョージ」
 「ひえー!しゃべっているのは何語だ?『ジャガイモ語ポテティッシュ』か?」
 「ウワッ⁉
 急に視界に真っ赤なものが飛び込んできて、ミラは思わずのけぞって驚きの声をあげた。それが人の頭だと理解するまで少し時間がかかった。
 フレッドとジョージが、廊下の曲り角から首を突き出して笑っていた。
 「どこから出てきたんだ!」ミラは目を見張りながら、双子の赤毛からつま先まで何度も往復させた。
 一方、アダリンは「ジャガイモ語」といわれたのが心底腹が立ったのか、顔を燃えるように赤くして双子を睨みつけている。
 ひょっこりと姿を現した二人はお互いに顔を見合わせクスクスと笑い、次にミラとアダリンの両脇にやってきた。
 「『喧嘩するほど仲が良い』、だろ?ミラ」ミラの隣でフレッドが言った。
 「そうさ。廊下で歩いたり立ち止まったりするのも青春のひとつだってね」ジョージもアダリンに話しかけた。
 「喧嘩するほど仲が良い」という言葉はミラがフレッドたちに教えた日本語の慣用句のひとつだった。ミラは一瞬嬉しい気持ちになったが、アダリンのすさまじい形相を見てすぐに顔を険しくさせた。
 「貴方たちも知っていたの?ミラが『カナの輪』に入るってこと」アダリンは鋭い目をした。
 「ああ、もちろんさ」ジョージが言った。「昨日、アリーシャに届いた手紙を一緒に読んだからな。ミラが『カナの輪』に志願するって」
 「君の言いたいこともわかるよ、アダリン」フレッドがアダリンに笑いかけた。「そう、一言だ――たった一言の相談がほしかったんだよな?」
 それを聞いた途端、アダリンの顔から怒りが消え、体は中古のタイヤのように萎んでいった。
 「そうよ……」アダリンの声は震えていた。「一言でも私に相談してほしかったわ。たとえ私が反対するとしても。そうでしょう?危険すぎることなんだもの。それに私たち、親友なのに……」
 「アダリンはそう言ってるぜ、ミラ」フレッドはミラのほうを見た。「ルームメイトには余計な心配をかけないにこしたことはないと、我々はそう思うが――いかがかな?」
 「静かな学校生活・・・・・・・を過ごす秘訣さ、悪友よ」ジョージが皮肉っぽく笑った。
 ウィーズリー兄弟の皮肉になにも言い返せなかったのはこれが初めてだった。
 そしてそれまでしまいこんでいた――見て見ぬふりをしていた――アダリンへの罪悪感が、堰を切ったように体の内側から滲み出てくるのを感じた。
 感じるが早いか、ミラはなにかを考えるよりも先にアダリンのほうに向き直って、ぐいと頭を下げた。(あまりに深々と下げたので、背中に流れていた長い黒髪が、はらりと肩の前にすり抜けた)
 「アダリン」ミラは廊下の床を見つめたまま続けた。「この度は、誠に申し訳ございませんでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 頭の上から「ワオ」とフレッドかジョージ、どちらかの小さいため息が聞こえる。少しの沈黙のあと、今度はアダリンの甲高い咳払いが聞こえた。ミラは恐る恐る顔を上げた。
 「ばかみたいに丁寧な言葉ね」ミラの謝罪に、アダリンは泣きたいのか笑いたいのかわからないような半べその顔になっていた。「貴方らしいわ。ミラ」
 少し血走った目玉をパチパチとさせたアダリンは、フーッと深呼吸をして自分を落ち着かせ、ミラを見つめた。
 「私のほうこそ、ごめんなさい。本当はわかっていたつもりなの」口を開いたアダリンの鼻がみるみる赤くなっていく。「貴方には貴方の人生があること。そしてそれを他人が決めることはできないってことも」
 アダリンは大きな瞳から流れ落ちる一粒の涙をローブの袖でぬぐい、涙声で続けた。
 「それなのに、私ったら、一番に相談をしてもらえなかったことに臍を曲げてしまって……。そして、そのことを――たったそれだけのことを――自分で認めようとしなかった――」
 「まず君に話すべきだったんだ、アダリン」ミラはどこか気の抜けた声で言った。「今更だけど、すぐに相談しなかったことすごく後悔しているよ。勝手に使命感に駆られて、焦って、君に反対されるのが怖くて……情けないよ」
 アダリンの顔に、たちまちほーっと安堵の色が広がった。ミラが力なく笑うと、アダリンがすぐに両手でミラを抱きしめた。
 「なんとまあ、友情とは素晴らしいものじゃ……」
 背後からわざとらしいやさしい声と拍手が聞こえてきた。ミラがアダリンから離れて振り向くと、ジョージとフレッドが目をキラキラと輝かせ、涙を拭う仕種をしていた。
 しまった。しばらくの間、二人がいることをすっかり忘れていた。ミラは気まずそうに頭をボソボソと掻いた。
 「それ、もしかしてダンブルドア校長の真似かい?」
 「さすが」フレッドが笑った。「なかなかうまいだろ?」
 「なあに、練習の時間はたくさんあったからさ。誰かさんたちが自分の世界に入っちまったおかげで」ジョージがアダリンを肘でつついた。
 「ご、ごめんなさい。……仲直りできたのは貴方たちのおかげよ、フレッド、ジョージ」アダリンが恥ずかしくてたまらないというふうに手で顔を覆ったまま答えた。
 「かまわないよ。ひとつ、おもしろいことを知れたしな」ジョージが誇らしげに言った。「ジャガイモの国のお姫様は意外に涙脆いってね」
 「ちょっと!」
 アダリンのキーキー喚く声が廊下の天井まで突き抜けていった。フレッドとジョージはゲラゲラ笑い出し、それを見たアダリンは「やめてよ」とモゴモゴ言った。
 その光景は、「カナの輪」の騒動が起こる前の日常に少し似ているような気がして、ミラはちょっぴり嬉しい気持ちになった。そういえば、こうしてフレッドとジョージに会うのも久しぶりだ。
 「アダリン、僕たちは褒めてるんだぜ」フレッドが言った。「そっちのほうが可愛げがあるってことさ。非の打ち所がない優等生ってよりもね」
 「まったくもって、余計なお世話だわ」アダリンはいつもの調子を取り戻したようで、不敵に鼻を鳴らした。「貴方たち、きちんとミラを守ってね。彼女の身になにかあったら私、絶対に許さないんだから」
 フレッドとジョージはポカンとして口を開けた。アダリンの言ったことが不思議でたまらないといった様子だった。
 「それはもちろん……そのつもりだけどさ」フレッドはジョージと終始顔を見合わせて言った。「でもアダリン、普段僕らがミラになにをしてるか知らないわけじゃないよね?」
 フレッドの言葉に、ミラは思わず噴き出してしまった。フレッドの言い分は、たしかにごもっともだったからだ。ただでさえ普段から双子たちにいたずらの実験体にされているのに……。今アダリンの言ったことは、いまさらすぎるような気がしてならなかった。
 そのことをようやく理解したアダリンが、ハッとしたような顔をしたあとにため息をついた。
 「そうね、貴方たちに頼んだ私がばかだった」アダリンは言った。「ミラのことはセドリックにお願いするわ。そっちのほうが絶対にいいもの」
 「そりゃ正解かもな」ジョージが伸びをして答えた。「セドリックのやつ、骨折が治ってはりきってるんだ。退院したばっかだっていうのに、さっき訓練場に行ったのを見たぜ」
 「セドリックはずいぶんと熱心だね。退院してすぐに――いや、ちょっと待っておくれよ」
 ミラはそう言いかけて、口をつぐんだ。そして、少し考えた。――なにかおかしい。ミラがその違和感に辿り着くまでに、そう時間はかからなかった。
 「君たち、さっき・・・って言った?ここから訓練場までは相当距離があるはずだけど、どうしてセドリックが退院してすぐに訓練場に向かったって知っているんだい?」
 ミラは思ったことをそのままフレッドとジョージに言った。もちろんセドリックが今日退院するという話はミラもアダリンも知っていたが、マダム・ポンフリーいわく、「午前中の授業が終わるのを待ってから」のだったはずだった。つまり双子の言う通り、セドリックはついさっき・・・退院したばかりなのだ。
 フレッドとジョージが、しまったといった顔になった。それから気の利いた言い訳を考えようと、二人は急にこそこそしはじめた。
 「私もちょっと気になってたことがあるの」アダリンが口を挟んだ。「貴方たち、さっきまで廊下の奥にいたはずよね。それなのにどうして――私たちがここで歩いたり立ち止まったりしてけんかをしていたことを知っていたの?」
 怪訝そうなミラとアダリンを見るやいなや、ジョージがフレッドになにやら耳打ちをしはじめた。二人は一言、二言会話をしたあと、今度はニヤニヤと笑い始めた。
 「まさかこんなに早くバレるとはな」ジョージがミラの背中をポンポン叩いた。
 「われわれはハッフルパフの諸君を少し侮っていたようだ」フレッドが言った。
 「な、なんだっていうんだい」
 ミラはいやな予感がして思わず後ずさりをしたが、フレッドとジョージは知らん顔をしてミラとアダリンの腕を掴み歩き出した。二人は騒ぐ甲冑や、絵画を無視して廊下の奥へずんずん進んでいく。ミラとアダリンは顔を見合わせて絶対にろくでもないことだと目配せをした。
 やがて行き止まりまで辿り着くと、双子ようやく手を離し、腕を前に組んで、二人に立ちはだかるような姿勢をした。
 「ちょっと、いったい何がしたいっていうの?」アダリンが眉根を少し吊り上げた。
 「僕たちがここしばらく君たちの前に姿を現さなかった理由を教えたいのさ」フレッドが言った。「ジョージ、見せてやってくれ」
 ジョージがローブの下から仰々しく何かを引っ張り出して、ミラとアダリンの前に広げて見せた。大きな、四角い、相当くたびれた羊皮紙だった。しかし何も書いていない。
 「何を見せるかと思えば……」ミラはため息をついた。「ただの古い羊皮紙の切れっぱしじゃないか」
 「古い羊皮紙の切れっぱしだって!」
 フレッドは心外といわんばかりに、顔をしかめて両目をつぶった。隣にいたジョージもやれやれという仕種をしている。
 「つい先日、僕たちが『クソ爆弾』を廊下で爆発させてフィルチの不興を買ったことは覚えているかい?」
 「いつのことよ」アダリンが呆れてものが言えない、という表情になった。「心当たりがありすぎて、わからないわ」  「光栄だが、まあいい――」ジョージは続けた。「やっこさん、俺たちを事務所まで引っ張っていって、脅しはじめたわけだ。いつものことさ――処罰だぞ――腸をえぐるぞ――なんてな」
 「それには私も心当たりがあるよ」
 ミラは得意げに答えたが、アダリンのショックを受けた顔を見てすぐに真顔になった。
 「ご存じの通り、そこは罰則室だった。そこでわれわれはあることに気付いてしまった。書類棚の引き出しの一つに『没収品・とくに危険』と書いてあるじゃないか」
 「貴方たち、まさか――」アダリンがこの世のものとも思えないといったような顔をして言った。
 「いい顔だ」フレッドがにんまりした。「ジョージがもう一回『クソ爆弾』を爆発させて気を逸らせている間に、俺が素早く引き出しを開けて、ムンズとつかんだのが――これさ
 「それがその切れっぱしだったと」ミラが言った。
 「まだそれを言うかね、悪友よ」ジョージが言った。「フィルチにこれの使い方がわかってたとは思わないけど、どういうことに使われるのかは察しがついてたんだろうな。じゃなきゃ、没収したりしなかっただろうからさ」
 「誰から没収したのかしら」アダリンは古ぼけたボロボロの羊皮紙を見た。
 「それもこれからわかる」フレッドが言った。
 「じゃあつまり」ミラはいつの間にか真剣な顔になっていた。「君たちは、これの使い方を知っているわけだ」
 「当たり前さ」
 フレッドがそう言うと、杖を取り出し、羊皮紙に軽く触れて、こう言った。
 「われ、ここに誓う。われ、よからぬことを企む者なり
 すると、たちまち、杖の先が触れたところから、細いインクの線がクモの巣のように広がりはじめた。線があちこちでつながり、交差し、羊皮紙の隅から隅まで伸びていった。そして。一番てっぺんに、渦巻形の大きな緑色の文字が、ポッ、ポッ、と現れた。
 フレッドは「この呪文を見つけるまで、僕たちは寝室にこもりっきりにならざるを得なくなったんだ」と笑った。
 



   

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